――ぼくは常日頃から会社というのは、何も努力せず、何の施策も打たず、危機感を持たずに放っておいたらつぶれる、と考えている(『成功は一日で捨て去れ』)
柳井にいわせれば、「安定志向、現状維持、マニュアル人間、サラリーマンへの安住」は「悪」であり、「革新性、挑戦、新たな価値の創造、前進し続けること」は「善」となる。11年の「CHANGE OR DIE(変革しろ、さもなくば、死だ)」というスローガンはその究極だろう。
「危機感」の根底にあるのは故郷の衰退だ。柳井の故郷・山口県宇部市は、「石炭バブル」の浮き沈みにより街の様子が大きく変わった。
「外に出ないと生き残れない。だから、宇部を出て広島へ、東京へと出ていき、世界にも店舗を広げていったのです」(「週刊現代」12年12月15日号)
72年、23歳で父の経営する小郡商事に入社。84年には広島でユニクロ1号店を出店、35歳で社長に就任した後は、全国に店舗を増やした。98年の原宿出店に、フリースブーム。ヒートテックやウルトラライトダウンなど新たな価値を次々生み出した。
――若い人に強調したいのは、一足飛びの成功はありえないということだ。ただし、毎日、少しずつ前進していけば、いつか成果を収めることはできる(『柳井正の希望を持とう』)
もちろん、すべての挑戦が成功するわけではない。02年の野菜事業、05年の靴専門店と手痛い失敗もあった。さらに後継者と見込んだ玉塚元一(現・ローソン会長)は05年に社長を退任し、柳井が社長に復帰することにもなった。特筆すべきは、それらの判断の早さだ。
――問題は、失敗と判断したときに「すぐに撤退」できるかどうかだ(『一勝九敗』)
柳井は「自分が自分に対して最大の批判者になること」を経営理念のひとつに掲げている。かつて「65歳までには後進に道を譲りたい」と語っていた柳井も68歳。「正常な危機感」を源泉とした挑戦は、今後なにを目指すのだろうか。