史跡以外にも多くの魅力がある松山

そう言いながら、石丸さんは「フィールドミュージアムマップ」をくれた。その地図には松山城や坂の上の雲ミュージアム、子規堂、秋山兄弟生誕地、といった小説関連の観光スポットのほかに、道後温泉、瀬戸内海に面する三津浜港、焼き物で知られる砥部、ろうそくが特産の内子町といった松山市や周辺の観光スポットも載っていた。わかりやすい親切な地図で、しかも無料だ。松山へ行く人はフィールド・マップをもらいがてら、ミュージアムをのぞくといいだろう。石丸さんは「地図に載っているすべてを回ると時間がかかるから、市内のいくつかを教えましょう」と言った。

街のシンボルである松山城が、今日も人々の暮らしを見守っている(右)。来館者が絶えない「坂の上の雲ミュージアム」。建築物としても魅力的(左)。

街のシンボルである松山城が、今日も人々の暮らしを見守っている(右)。来館者が絶えない「坂の上の雲ミュージアム」。建築物としても魅力的(左)。

「何よりも道後温泉本館です。松山に来たら、行かなくてはもったいない。夏目漱石の小説『坊っちゃん』にも出てくる松山随一の名所です。そこで温泉に浸かって、近所の料理屋で、瀬戸内海のおいしい魚を食べてください。それから子規記念博物館、子規堂、そして秋山兄弟生誕地でしょうか」

石丸さんは話のわかる人で、史跡や名所よりも第一に道後温泉を挙げた。確かによほどのマニアでない限り、立て続けに6つも7つも史跡ばかりを見て歩くのは退屈だ。途中で温泉に入ったり、土産物を買ったり、気分を変えつつ町を見て歩くのが関心を持続させるコツだろう。

私はミュージアムを出た後、市電に乗って道後温泉へ行った。そして、ゆっくりと温泉に浸かった後、近くの子規記念博物館を見学した。記念博物館は4階建てで、展示されているのは子規の生涯や業績、そして松山や道後の歴史が展示されている。じっくり見ると2時間はかかる施設だ。

正岡子規の生涯は34年と短い。しかも晩年の3年間はほぼ寝たきりだった。にもかかわらず、彼は2万4000を超える俳句を作り、短歌、評論、小説と創作活動にすべての時間とエネルギーを費やした。病身の身ながら、生涯を俳句の復興に賭けた人物だ。『坂の上の雲』では前半に出てきて、すぐに死んでしまう。しかし、正岡子規が登場していなければ同書は殺伐とした印象を与える本になってしまっただろう。記念博物館で正岡子規の生涯を追っていると、「明治の青春」の一途さとすがすがしさが伝わってくる。

子規記念博物館を出た後、秋山兄弟の生誕地、子規堂を見て回ったが、どちらも見学に時間はかからない。それよりも市内を歩いていて、興味深いふたつの事実に出合った。たとえば、松山市内のコンビニではおにぎりや週刊誌よりも文庫版の『坂の上の雲』と『坊っちゃん』のほうが目につく場所に並べてある。このふたつは松山においてはツナマヨや鮭のおにぎりより手に取る人が多い商品なのかもしれない。

また、もうひとつ気がついたのは、俳句を投稿する「投句ポスト」の存在だ。私が回った名所、史跡だけでなく、市内のあちこちに設置されており、52個もある。しかも、投句する人は少なくないようだ。実際に私は子規堂の投句ポストにそっと紙片を投入している女子高生を目撃した。松山は小さな町だけれど、コンビニには文庫本が並び、また日常のなかに文学がある。すがすがしさを感じさせる町だ。

(岡倉禎志=撮影)