司馬遼太郎はいまだに、高い人気を誇る。幕末や明治の日本人に我々が今なお魅せられるのはなぜなのか、検証した。さて、行ってから読むか、読んでから行くか?

秋山兄弟、子規の故郷に向かう

日本のビジネスマンにとって、司馬遼太郎作品は人生やビジネスを教えてくれる書であり、元気を与えてくれる応援歌でもある。なかでも明治時代を描いた『坂の上の雲』は幕末ものの『竜馬がゆく』と並んで人気が高く、座右の書にあげる経営者も多い。その『坂の上の雲』が今年の秋から3年間にわたってNHKのスペシャルドラマとして放映されることになった。そのためもあり、同書の舞台になった愛媛県松山市や海軍兵学校があった広島県の江田島町を訪れる人が増えている。

その様子を見るため、私は「坂の上の雲を旅する」と題し、松山、江田島、さらに東大阪にある旧司馬邸に建設された司馬遼太郎記念館を訪ねた。

まずは同書に出てくる3人の主人公、秋山好古、真之兄弟(日露戦争で活躍した軍人)、正岡子規(俳人)の出身地である松山へ向かった。作者は同書の冒頭で松山について、こう記している。

「伊予の首邑(しゅゆう)は松山。

城は、松山城という。城下の人口は士族をふくめて3万(筆者注・現在、松山市の人口は51万人)。その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、その赤松の樹間(このま)がくれに高さ十丈(筆者注・一丈は約3.03メートル)の石垣が天にのび、さらに瀬戸内の天を背景に三層の天守閣がすわっている。古来、この城は四国最大の城とされたが、あたりの風景が優美なために、石垣も櫓(やぐら)も、そのように厳(いかつ)くはみえない」

現地で見ると、確かに、松山城は圧迫感を感じない城だ。おもちゃとまでは言わないけれど、ちんまりとした、この城のふもとにできたのが「坂の上の雲ミュージアム」である。開館は2007年。設計は東大阪にある司馬.太郎記念館と同様、安藤忠雄氏である。建物の前面を覆うガラスとコンクリート打ちっぱなしの壁が特徴だ。松山市職員で学芸員も兼ねる石丸耕一氏が、次のように話してくれた。

「入場者は初年度が14万人で、2年目の昨年が十数万人でした。今年はそれよりもかなり多いというのが実感です。このミュージアムでは毎年、テーマを変えて展示しています。今年は日本騎兵の父、秋山好古についての資料、写真を展観しています。

私たちにとって小説『坂の上の雲』は町づくりの核になっています。ですから、展示はミュージアムのなかだけではありません。このミュージアムを手始めに松山全体のスポットを見ていただきたいと思っています」