生活保護費は国民年金よりも高い。その事実をどう考えればいいのか。今回は、理論上可能な生活保護受給までのプロセスを小説仕立てでお届けする。なお、生活保護の受給を勧めるものではない。
私は内田茂夫、60歳。
今、私は地中海の国々を豪華客船でめぐる旅の真っ最中だ。客はみな裕福そうな老人ばかりで、少しだが日本人もいる。船内では夜ごとパーティが開かれ、頼めばいくらでもうまい酒が出てくる。飽きればカジノでひと勝負。夢中になりすぎて気づけば朝……という日もあった。そうやって暇をつぶしていると、港に着く。するとそこには、見たこともないような美しい光景が待っている。もちろん、美しい女もいる。その女をどうするかは、自分次第だ。
私はデッキで酒を飲みながら、1年前の自分を思い出していた。
「生活保護を受けよう」還暦直前の決心
当時59歳の私は、とにかく落ち込んでいた。自営業なので定年もないが、細々と続けてきた小さな広告代理店は、ここ数年ほとんど開店休業状態だ。おかげで鬱気味になり、心療内科に通ったこともある。この状況で働き続けたところで、先は見えている。
「そうだ、60歳を私の人生の定年にしよう」
突然わいてきたこの思い付きに、私の心は久しぶりに躍った。仕事を辞めたら、旅行をして、好きな酒を飲んで……。あと1年だけだと思えば、仕事も少しは頑張れるかもしれない。
しかし、すぐに希望は絶たれた。一応払い続けてきたものの、私のような自営業者が国民年金でもらえる金額は微々たるものだ。夫婦2人合わせても大した額にはならない。そして、いくら私が「定年だ」と勝手に宣言したところで、年金の支給は65歳まではじまらない。繰り上げ受給することもできるが、そんなことをすればさらに金額はわずかなものになってしまう。となれば貯金を取り崩して生活することになるが、残念ながら「死ぬまで安泰だ」と言える額の蓄えはない。
私の財産は、現金1000万円と3LDKの中古マンション。そしてわずかな株と保険。両親は兄夫婦と同居しているため、介護の心配がない代わりに、遺産も期待できない。65歳までどうにかして働き、わずかな年金をもらいながら寿命いっぱい食いつなぐ人生が続くなんて、絶望的だ。
テレビで特集される「下流老人」を他人事のように眺めていたが、よくよく人生を棚卸ししてみれば、まさに私自身が「下流老人」まっしぐらのルートを辿っていたというわけだ。
私はしばらくの間、現実と向き合えずにいた。
ある日のこと、私は区役所にいた。ほったらかしにしていたマイナンバーの申請手続きを済ませるためだ。そして、衝撃的な光景を目にした。役所で金を受け取っている人がいるのだ。しかも、何人も。見れば、「生活福祉課」となっている。それは生活保護費を受け取る人の列だったのだ。
「国が生活を助けてくれるなんて羨ましいな」
最初はただそれだけの感想だった。生活保護にはどうしてもネガティブなイメージが付きまとう。受給してしまえば、「人生の落伍者」と言われたような気がする。
しかし、日を追うごとに私の考えは変わっていった。生活保護は国が提供するれっきとしたサービスだ。生活に困った人間の最後のセーフティネットだ。これまで私はきちんと税金を納めてきた。それを取り戻すチャンスじゃないか。後ろめたいなんて、とんでもない。捨てなくてはならないのは、なけなしのプライドだけだ。
「60歳になったら生活保護を受けて生活しよう」
私は、老後の生活を生活保護に頼ることに決めた。