しかし多くの場合、時短勤務をしている社員は、基本就業時間よりも短くなった分を「働いていない」としてその分の賃金を減額されていることは、当事者以外にはあまり知られていない。会社によっては時短は一律2割カット、または4割カットなどと定めている。

このように、実際の運用が所属企業によってまちまちであること、そして時短中の社員をどう業務に組み込むか、本人が望む仕事の量や難易度、時間外勤務が可能であるかどうかが個々人の事情によってバラバラであることが、職場では紛糾のタネとなる。時短制度は、従業員数が多く経営体力のある企業では安定運用されている例も多いが、半面、業績不振の企業ほど「時短社員はすぐ帰るし、大きな仕事はやりたがらないしで、使いにくい」「社に貢献できていない」「さっさと帰れていい身分」「ぶら下がり社員」「しわ寄せが他の社員にくる。時短社員ばかり甘やかされて不平等」などと不満を呼び起こしている場合もある。

コラムニスト・河崎環さん

だが多くの企業においては、上述のように時短社員は本来「自分の賃金カット分で時間的余裕を買っている」ようなもの。賃金を代償にしているのだから、それは不平等ではない。まさにその意識で、重要な業務を任され上司の高い評価も受けながら時短勤務を続けている、ある女性社員は「自分の中では合理的な選択だと思ってバランスが取れており、生産性もクリエイティビティも十分に高いという自負があるけれど、同じ(幼い子どもを育てるワーキングマザーであるという)境遇でない社員には、こういう感覚は理解されにくい」と語る。彼女の場合、理解ある上司に恵まれたおかげで勤務評定が高く、産休育休を子ども2人分きっちりと取得して今なお時短勤務であるにもかかわらず、同期の中でも比較的早い昇進を手にした。ただそれは「自分の部署が社の収益を牽引する、際立って業績の良い部署であることによる、余裕ある対応」であることも自覚している。

「時短制度の良さを享受して、仕事も家庭も自分軸でバランスをとる」。それを達成できれば個人も会社もWin-Winなのだが、業績の悪化を前にしたとき、ある種の犯人探しが起こるのは仕方がない。資生堂ショックを語るにあたって二宮尊徳の「経済なき道徳は寝言である」との言葉を引用した経済コンサルタントもいるほどで、経営責任を負う経営陣としては当然の判断だ。それゆえに女性社員が全社の8割を占める資生堂にとって、時短社員を実効的な戦力に組み込むことは大きな課題であり、これまで日本でいち早く子育て支援策を拡充してきた歴史を踏まえた上で、「子育てを聖域にしない」と方向転換したと伝えられている。

ただそれでも、時短社員の実情は「ぶら下がり」や「甘え」などと無神経にくくることなどできない、とはっきり記しておきたい。

以前、さまざまな業界の女性時短社員にヒアリングする機会があり、たくさんの方々に快く応じていただいた。保育園のお迎えギリギリの時間まで仕事をこなし、ダッシュでお迎えに行き、そのまま夜まで育児と家事にかかりきりになり、場合によっては夜中に持ち帰った業務に取り掛かるという、目が回るほど多忙な暮らしを送る――彼女たちの言葉には、絞り出すように苦悩がにじむものも多々あった。

「時間に制限があるからこそ、常に時間と戦いながら猛烈な勢いで仕事をこなしているのに、私が帰宅してから何をしているかが見えないから、『子どものせいにして帰れるからいいよね』なんて言う無神経な同僚。悔しい」

「かつての面白くてやりがいのある仕事から遠ざかった、2軍落ちのような悔しさに苛まれる」

「時短利用というだけで給与は一律4割カット。それでもフルタイム勤務と変わらない営業数値目標を割り当てられ、数字を必死の思いで達成しても、成果に見合った報酬がない。査定があるたびに心が折れそうになる」

「『時短なんだから、君の方が余裕があるだろう』と家事を手伝ってくれない夫に向かって、『私にも会議や打ち合わせや接待があり、その上で子育てもしている。だから家庭内のことは分担してほしい』と、ガツンと『夫プレゼン』した」

「職場での信頼キープのため、朝、どれだけ子どもが(保育園への)登園をしぶろうとも、タクシーを使ってでも遅刻はしない。命がけです」