NHKの放送をきっかけにネットが沸騰した「資生堂ショック」。時短勤務のワーキングマザーにも、一般社員と平等な勤務シフトやノルマを課すという話に、「女性への裏切り」といった声もあった。しかしこの決定は、女性に優しい企業・資生堂だからこそという面もある。

11月9日、幼い子を育てるワーキングマザーたちの間に激震が走った。「NHKニュース おはよう日本」の「資生堂ショック」特集がきっかけだ。時短勤務をする子育て中の女性社員にも通常と同じ平等な勤務シフトやノルマを与えるとした資生堂の方向転換が紹介され、「資生堂ショック」というキーワードがTwitterでトレンド入り。放送内容が一斉に拡散され、ネットのあちこちでさまざまな意見感想が述べられた。

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11月9日、NHKニュース おはよう日本で放送された「資生堂ショック」特集は大きな波紋を呼んだ。

もともと資生堂は、日本企業の中でも「女性に優しい会社」の筆頭株として知られる企業だ。事業所内保育施設や法定を上回る育児介護休業・短時間勤務制度の導入など、2000年代からの積極的な子育て支援策の充実ぶりで有名である。だが、近年の女性活躍推進という大号令のもと、女性管理職比率や女性社員採用比率の上昇など、女性が働きやすい環境を整えるために官民挙げての護送船団が組まれているかのような現在の風潮の中では、資生堂の方向転換は当の短時間勤務中の母親たちから「女性への裏切り」と反感を持って受け取られることもあったようだ。ネット上では資生堂に批判的な反応が多く見られ、中には「資生堂の商品はもう買いたくない」といった声もあった。

この一連の動きの背景には、女性正社員の短時間勤務(以下、時短)が現代の労働事情の中で少し特殊な、微妙な位置にあることを説明する必要がある。2000年代、まさに資生堂のような企業が旗振り役となって、女性社員が出産・育児するにあたっての優遇策が日本の多くの企業で提供されるようになった。労働基準法で認められた産前産後計14週の出産休業に続いて、子が原則1歳に達するまでの育児休業、そして復帰後は「改正育児・介護休業法」によって子が3歳の誕生日を迎えるまで1日の労働時間を6時間に短縮できる短時間育児制度が用意されている。

しかし法定期間はあくまでも最短の期間を示すものであり、実際の運用期間(社員が子どもが何歳になるまで育休や時短制度を利用できるか)は企業判断に委ねられている上、時短勤務制度の運用実態も企業によってまちまちだ。中には、子どもが3歳になるまで育休取得可能(その間の賃金は支払われないが、籍は保たれる)というケースや、時短1時間減までなら賃金カットなし、さらに子どもが小学校3年生の年度末、または小学校卒業まで時短取得可能といったような恵まれた例もある。

しかし多くの場合、時短勤務をしている社員は、基本就業時間よりも短くなった分を「働いていない」としてその分の賃金を減額されていることは、当事者以外にはあまり知られていない。会社によっては時短は一律2割カット、または4割カットなどと定めている。

このように、実際の運用が所属企業によってまちまちであること、そして時短中の社員をどう業務に組み込むか、本人が望む仕事の量や難易度、時間外勤務が可能であるかどうかが個々人の事情によってバラバラであることが、職場では紛糾のタネとなる。時短制度は、従業員数が多く経営体力のある企業では安定運用されている例も多いが、半面、業績不振の企業ほど「時短社員はすぐ帰るし、大きな仕事はやりたがらないしで、使いにくい」「社に貢献できていない」「さっさと帰れていい身分」「ぶら下がり社員」「しわ寄せが他の社員にくる。時短社員ばかり甘やかされて不平等」などと不満を呼び起こしている場合もある。

コラムニスト・河崎環さん

だが多くの企業においては、上述のように時短社員は本来「自分の賃金カット分で時間的余裕を買っている」ようなもの。賃金を代償にしているのだから、それは不平等ではない。まさにその意識で、重要な業務を任され上司の高い評価も受けながら時短勤務を続けている、ある女性社員は「自分の中では合理的な選択だと思ってバランスが取れており、生産性もクリエイティビティも十分に高いという自負があるけれど、同じ(幼い子どもを育てるワーキングマザーであるという)境遇でない社員には、こういう感覚は理解されにくい」と語る。彼女の場合、理解ある上司に恵まれたおかげで勤務評定が高く、産休育休を子ども2人分きっちりと取得して今なお時短勤務であるにもかかわらず、同期の中でも比較的早い昇進を手にした。ただそれは「自分の部署が社の収益を牽引する、際立って業績の良い部署であることによる、余裕ある対応」であることも自覚している。

「時短制度の良さを享受して、仕事も家庭も自分軸でバランスをとる」。それを達成できれば個人も会社もWin-Winなのだが、業績の悪化を前にしたとき、ある種の犯人探しが起こるのは仕方がない。資生堂ショックを語るにあたって二宮尊徳の「経済なき道徳は寝言である」との言葉を引用した経済コンサルタントもいるほどで、経営責任を負う経営陣としては当然の判断だ。それゆえに女性社員が全社の8割を占める資生堂にとって、時短社員を実効的な戦力に組み込むことは大きな課題であり、これまで日本でいち早く子育て支援策を拡充してきた歴史を踏まえた上で、「子育てを聖域にしない」と方向転換したと伝えられている。

ただそれでも、時短社員の実情は「ぶら下がり」や「甘え」などと無神経にくくることなどできない、とはっきり記しておきたい。

以前、さまざまな業界の女性時短社員にヒアリングする機会があり、たくさんの方々に快く応じていただいた。保育園のお迎えギリギリの時間まで仕事をこなし、ダッシュでお迎えに行き、そのまま夜まで育児と家事にかかりきりになり、場合によっては夜中に持ち帰った業務に取り掛かるという、目が回るほど多忙な暮らしを送る――彼女たちの言葉には、絞り出すように苦悩がにじむものも多々あった。

「時間に制限があるからこそ、常に時間と戦いながら猛烈な勢いで仕事をこなしているのに、私が帰宅してから何をしているかが見えないから、『子どものせいにして帰れるからいいよね』なんて言う無神経な同僚。悔しい」

「かつての面白くてやりがいのある仕事から遠ざかった、2軍落ちのような悔しさに苛まれる」

「時短利用というだけで給与は一律4割カット。それでもフルタイム勤務と変わらない営業数値目標を割り当てられ、数字を必死の思いで達成しても、成果に見合った報酬がない。査定があるたびに心が折れそうになる」

「『時短なんだから、君の方が余裕があるだろう』と家事を手伝ってくれない夫に向かって、『私にも会議や打ち合わせや接待があり、その上で子育てもしている。だから家庭内のことは分担してほしい』と、ガツンと『夫プレゼン』した」

「職場での信頼キープのため、朝、どれだけ子どもが(保育園への)登園をしぶろうとも、タクシーを使ってでも遅刻はしない。命がけです」

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資生堂には全国に1万人の「美容部員」と呼ばれる女性社員がおり、このうち約1100人が時短制度を利用。美容部員には1日あたり18人以上接客するという営業ノルマが課せられている。

現状、時短は「女性社員が取るものでしょ?」との無邪気な声もあるくらい、女性が子育てするための制度だと思われている。本来は男性社員も対象とした、“育児と「介護」のための勤務時間の短縮“制度であることが忘れられがちだ。現代日本における時短勤務は、日本的な、あれもこれも期待される女性ならではのソリューションとして機能してしまっている。だから女性社員率8割の資生堂が他に先駆けてこの問題に対応することになったのであって、「それが当然」と女性に育児も介護もさせる文化が変わらないと解決しない。

また、夫婦の間で妻側が時短を取るのが当然視されるような現在の状況では、結果的に夫の勤める企業が妻の企業のリソースを奪っているのではないかという指摘もある。これまでは子育て支援策を拡充することが企業イメージを上げるというメリットがあったため、そこは問われてこなかったが、実は家庭内で擬似的な「企業リソースの奪い合い」が行われているという指摘は、非常に的を射ている。

ダイバーシティとは「専業主婦を囲った平均的な男性労働者」という昭和モデルを更新するもの。育児も介護も、現代は女性だけでなく男性にも平等に降りかかってくる問題であり、男性も当然当事者なのだ。この資生堂ショックは「時短の甘えを正す」などという狭い女性間の二項対立で語るのでなく、いま「女性の働き続けやすさ」を確保しつつある私たちの社会が次に進むべき、ダイバーシティの上位議論の扉を開けたのだと認識したい。

■参考
NHKニュース おはよう日本:“資生堂ショック” 改革のねらいとは
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2015/11/1109.html
河崎環(かわさき・たまき)
フリーライター/コラムニスト。1973年京都生まれ、神奈川育ち。乙女座B型。執筆歴15年。分野は教育・子育て、グローバル政治経済、デザインその他の雑食性。 Webメディア、新聞雑誌、テレビ・ラジオなどにて執筆・出演多数、政府広報誌や行政白書にも参加する。好物は美味いものと美しいもの、刺さる言葉の数々。悩みは加齢に伴うオッサン化問題。