貧乏な移民に対する英国民のアレルギー
イギリスはEUの前身であるEC(欧州共同体)に1973年加盟したが、加盟国との間で路線対立を繰り返してきた経緯がある。1979年から11年強の長期政権を誇ったサッチャー首相は、当初は親EECだったが、政権終盤には批判的な姿勢に転じていた。
弱者保護、再分配を重視する独仏など大陸側諸国に対しイギリスは市場競争を重視する傾向があったためで、EUへの加盟がむしろ経済停滞を招いているとの不満のもととなった。
不満が顕在化したのが、EU創設に向け1991年に合意されたマーストリヒト条約。政治・通貨・共通市民権などの基本方針が打ち出されたことで、イギリスのアレルギー反応が目立ってきた。1993年11月にEUが創設された頃には、イギリスのフラストレーションはすでに高まりつつあったのである。
イギリスは2002年に誕生したEUの単一通貨ユーロを導入せず、自国通貨であるポンドを維持。しかし、11年以降のユーロ危機への対応では、イギリスも巻き込まれた。EUは危機の再発防止に金融監督の一元化など統合強化の動きを進め、これに対しイギリスではEUの官僚組織の焼け太りと批判する声が高まった。
国民の声は二極化していった。与党である保守党の内部すら一枚岩ではなく、閣僚クラスにも離脱派が存在する状況だった。
EUは基本条約では、加盟国の国民に域内の移動の自由を保障している。ポーランド、リトアニアなど低所得の東欧諸国が加盟した2004年以降、特に2008年のリーマン・ショックを機に大量の移民が仕事を求めてイギリスに流入した。その結果、医療、住宅、教育サービスの財政を圧迫。「低賃金の職を奪われ、社会福祉にただ乗りしている」との国民の不満が高まった。イギリス政府は仕事に就かない移民の福祉給付を制限しているが、昨年以降の中東地域からの難民危機も加わり移民に対するアレルギー反応が高じていた。
経済が成長している時期なら不満を吸収することも可能だが、世界的な経済成長が低迷している時期。特に労働者階級、低所得層の人々が不満をため込んでいった。
また、貿易や産業、環境政策などの決定権がEUに集中するにつれ、イギリスの自主権が損なわれているとの不満もくすぶった。高年齢層を中心に、かつての大英帝国時代のプライドに傷がつけられたと受け取る声が高まったのだ。