No.2の賢者は自分が仕える場所を吟味する

曹操は若く有能な将校として、後漢内の汚職をなんどか糾弾したことがあります。しかし内部の権力者とその周囲が腐敗に慣れきっているのですから変わらず、彼は後漢帝国に見切りをつけて、自らの地方領地に帰ってしまいます。

幼い頃に父を亡くし、貧しい母子家庭で蓆を編んで生計を立てていた劉備は、後漢の崩壊で生まれた民衆反乱の「黄巾の乱」に対して仲間と討伐に参加。その功績で小さな地方役人の地位を与えられますが、後漢の行政組織の腐敗に飽き飽きしたのか、2度も印綬を置いて職を去っています。

○ここにいても、キャリア上もはや意味はない(先は行き止まりだ)
○上司や組織の腐敗がひどく、実力があれば僻まれて足を引っ張られる

孫権の兄、孫策も、ダメ上司の元から独立することで一族の未来を切り開きました。袁術は、後漢崩壊初期の最大軍閥、袁家の子息でしたが年長の同族袁紹と仲違いして独立。部下だった孫策(孫権の兄)は、何度も功績を立てますが、袁術は約束した地位を与えずに、孫策は独立を決意します。兄がダメ上司を見限ったことで、孫権は南方で独自勢力となり、のちの呉帝国を築く機会を手に入れています。

乱世は、古い権威が腐敗で崩壊する時期だと先にお伝えしました。そのような時代には、賞味期限が切れたダメなもの(組織・上司・地域)から離れる才覚がまず必要になるのです。三国志の時代、曹操・劉備・孫権のような英雄が台頭した一方で、腐った大木に最後までしがみ付いて共に消滅していった人物も、星の数ほどいたのですから。

時代の転換点で生き方を変えるのは、自らの志を胸に立ち上がる英雄たちばかりではありません。No.2タイプ、三国志の当時は参謀や軍師として活躍する者たちも、自分が参加すべき集団を、目を凝らして吟味していました。どれほど自分の才能や頭脳に自信があっても、集団を指導するリーダーがダメでは、宝の持ち腐れだけでなく、将来的な身の危険まであるのですから。