「人生には楽などはありません」

「初めて韓国で講演した際、ある青年が『私には声楽家になりたいという夢があります。けれども、のどの具合が良くない。どうしたらいいでしょうか?』と質問してきました。私は『自分が本当にしたいことをすべきです。万が一、かなわないとしても、あなたらしく生きてほしい』とアドバイスしました。彼はずっと考え続け、日本の有名大学への留学を決意したそうです。そこまでする日本人は多くありません」

実はこれが、本のタイトルにある“勇気”にほかならない。最近でこそ、あまり使われなくなった言葉だが、自分らしく生きようとすれば、他人から嫌われる覚悟も求められる。けれども、それを避けてはいけない。信念を貫こうとする強い勇気、それこそが幸せを掴むキーワードだ。

『嫌われる勇気』岸見一郎、古賀 史健著・ダイヤモンド社

岸見氏は「当然、そのプロセスには壮絶な戦いがあり、苦難も伴うでしょう。その意味で、ブッダが生・老・病・死を“四苦”と捉えたのはすごい。人生には楽などはありません。生きることは苦であるとの悟りは慧眼です。例えば、鳥が空を雄々しく飛翔するためには空気抵抗が必要です。逆風にあらがって羽をはばたかすのは苦しい。けれども、それを克服してこそ遠くへ飛んで行けます」と説明する。

そしてそれは、時代と空間を超えた普遍的な真理だ。岸見氏の専門であるギリシア哲学のプラトンが今日まで読み継がれているのは、その思想が現代にも通じるからである。プラトンがソクラテスを中心に、数々の登場人物と言葉を交わし、思索を深めていくプロセスは「対話篇」として遺されている。岸見氏の2冊も同様に青年と哲人の対話という手法を踏襲した。

こうした本は、読み直すたびに新たな気づきがあるものだ。実際、そんな読者も少なくない。彼らはいつも本を持ち歩き、感銘した箇所には何枚も付箋を貼るなどして、繰り返し心に刻んでいるという。それはまさに本と対話だろう。あたかも、青年と哲人の対話に読者が途中から参加するような感じかもしれない。

日本、そして韓国の若者は国柄の違いこそあれ、現状に苦しみを抱えて生きている。そんな人ほど、アドラーの一言が心に突き刺さる。それは、間違いなく行動を促す。正編のラストシーンで、哲人との対話を終えた青年がゆっくりと靴紐を結び外に出る。そこは一面の雪景色だった。清冽な空気のなか、満月に照らされながら、新雪を踏みしめて歩み出す彼の姿が印象的だ。

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