この世は、1つの舞台であり、すべての人は役者であると、シェークスピアはその戯曲の台詞に書いた。

確かに、そうかもしれない。人と人との関わりの中で、私たちは、多かれ少なかれ、「演じている」。「演じる」と言っても、必ずしも意識して演技しているわけではない。知らずしらずのうちに、ある役割を引き受けているのだ。

人間の脳には、関係性によって、自分のあり方を変える力が備わっている。小さな子どもだって、お母さん、お父さん、お兄さん、妹、先生、あるいは近所のおじさんといるときで、それぞれ、少しずつ態度が異なる。

演じることは、決して偽善ではない。むしろ、人間としての自然なあり方なのだ。それは、子どもの頃の「ごっこ遊び」から、会社における役割分担まで、社会生活を営むうえで欠かせない能力である。

それでは、すべての人間には「役者」という側面があるとして、いわゆる「名優」とは、どのような人を指すのだろう? あるいは、「名演技」とは、何なのだろう? そこには容易には解き明かされない謎があり、また、数多くの誤解もあるように感じる。

1960年、小津安二郎監督の『秋日和』を撮影している頃の原節子さん。ご自宅にて。(写真=共同通信社)

日本映画に金字塔を打ち立てた伝説の女優、原節子さんが亡くなった。原さんはその凛とした美しさと格調の高い演技で知られたが、特に、小津安二郎監督の作品で、世界の映画史に残る演技をした。

小津監督の『晩春』『麦秋』、そして『東京物語』は、主人公が「紀子」という役名だったので「紀子三部作」と言われ、世界の映画人から高く評価されている。とりわけ、『東京物語』は、映画関係者の投票で世界の映画史上1位の名作に選ばれたこともある。この作品の中での原節子さんの演技は、永遠に語り継がれるだろう。

原節子さん逝去の知らせは、日本の報道機関によって大きく報じられただけでなく、欧米のメディアでも詳しく伝えられた。評伝や、追悼記事も配信された。原節子さんという女優の存在の大きさが、改めて感じられたのである。