ビザ緩和で外国人観光客が急増した

【塩田】まもなく官房長官在任3年となります。官房長官としての役割、使命は十分に果たせたと考えていますか。

【菅】官房長官というのは決まった仕事がなくて、次から次へといろいろなことが持ち込まれる。それを瞬時に判断して進めていく。危機管理をやっていますから、気が抜けない。それで追われているような感じですね。

内閣との絡みもあります。今、国民の要望は一つの省庁で対応できなくなって、横断的に取り組まなければ駄目な仕事がものすごく多い。それは私のところでまとめて方向を出して進めていく。その繰り返しですね。

たとえば、総理からTPP、沖縄問題、観光は全部、官房長官がまとめろという指示がある。TPPも関係大臣は財務相、外相、経産相、農水相、私で方向性を決めて、経済財政担当相の甘利明さんにやってもらうということです。完全に官僚なしで、どうするかを決めた。私たちで5回、協議をやりましたが、1回も表に出なかった。表に出すと、こんなに被害があると一方だけに宣伝されてしまう。そうなると、持たなくなります。このやり方でTPP交渉の方向性ができました。

観光も、外国人客は韓国が1000万人以上で、日本が800万人くらいというのはどう考えてもおかしい。原因は何かと考えたら、ビザだったんです。競争条件は平等にすべきだと思っていたので、官房長官になって、「総理、これ、やろうじゃない」と言って、法相、国家公安委員長、国土交通相、外相、私の5人で話し合い、10分で決めました。官邸主導です。それでなければ無理です。それまでは法務省と警察庁が大反対でした。大臣も外国人犯罪が増えると言って反対だった。今回、逆からやったんです。大臣同士で決めて下ろした。だから、10分で決まった。ビザ緩和で外国人客の訪日がものすごく伸びた。

【塩田】官僚操縦の腕前が注目を集めています。要諦は何ですか。

【菅】やはり国益ですよ。私たちがやろうとしていることに反対したり、違う動きしたら、私はいっさい許さない。そこは明快です。メリハリをちゃんと付けているんです。

菅義偉(すが・よしひで)
衆議院議員・内閣官房長官
1948年12月、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現湯沢市)生まれ(現在、66歳)。農家の長男に生まれ、秋田県立湯沢高校卒業後、上京して町工場で働いた後、法政大学法学部卒。会社員を経て、衆議院議員の小此木彦三郎元通産相の秘書を11年務めた。87年に横浜市議に初当選(計2期)。96年の総選挙で神奈川2区から自民党公認で初当選(以後、連続7回当選)。梶山静六元官房長官を師と仰ぎ、行動を共にした。2006年の総裁選で安倍晋三現首相の擁立の原動力となる。06年に第1次安倍内閣の総務相、07年に自民党選対副委員長、09年に選対委員長代理、12年に幹事長代行。その後、第2次安倍内閣で官房長官に就任(在任は1000日を超え、現在歴代3位)。著書は『政治家の覚悟 官僚を動かせ』。人生で一番嬉しかったことはと聞くと、「政治家の秘書になったとき」という答えが返ってきた。暇な時間があればやりたいことは「渓流釣り」だという。
(尾崎三朗=撮影)
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