ドイツと日本の決定的な違いは、ドイツは戦後直後から譲歩せざるをえない弱い立場だった点です。ドイツは東西に分断され、そのままではNATO(北大西洋条約機構)にも、国連にも参加できない状況でした。周辺国との早期和解が不可避だったのです。

それに比べて日本の戦後処理は、52年の台湾との間の日華平和条約、65年の日韓基本条約、72年の日中共同声明と、終戦から時間が経っていました。空白期間に復興が進んだことで、日本はアジア諸国よりも経済的に優位な立場で戦後処理に臨めたのです。

72年の日中共同声明では、日本側は中国が賠償請求すると身構えて、交渉の過程で何度も確認をとりました。しかしソ連と対立関係にあった中国は、交渉をスムーズに進める必要があり、日本側が驚くほどあっさりと譲ったのです。韓国の場合は、交渉自体はかなり手間取りましたが、結果は同じです。61年にクーデターで成立した朴正煕政権が軍事政権で不安定だったことが、日韓基本条約の締結に決定的な影響を与えたことは明らかです。

こうした経緯から、日本の戦後処理に対して、中国や韓国には潜在的な不満があります。その不満が日中韓のパワーバランスが変化することで噴出し、「歴史認識問題」として表面化しているというわけです。

加えて日本国内で「安倍談話」など歴史認識問題がイシュー化している点も、中韓を煽る形となっています。日本にとって第二次世界大戦に関わる話は、どう表現しても前向きにはなりません。国際的に「侵略戦争」という理解が確立しているからです。それなのに「首相が談話を出すべきだ」といった議論が起きる。その状況を見た関係国は、当然「日本の歴史認識はぶれている」と糾弾し、次々と新たな火種が生じる。そういう意味では「歴史教科書」や「靖国参拝」は、わざわざ日本から与えた外交カードといえます。