では、その釈迦の仏教の根本的な教えは何かというと、それは「諸行無常」ということです。
私たちは病気や老い、死から逃れることができません。世の中のありとあらゆるものは放っておいても崩れていきます。だから「諸行無常」なのですが、このことをいつも念頭に置いていれば、大事なものを失っても悲しまずに済む。これが逆に「諸行は常だ」「物事は永続する」と希望を持って暮らしていると、その希望は必ず打ち砕かれて、苦しみが生まれる。だから苦しみから逃れるためには、諸行無常を前提として生活設計をしていけということです。しかしこの諸行無常という価値観を持つには、私たちの考え方を根本から変える必要がある。そのための努力が修行です。「ダンマパダ277」はそのことを表しています。智慧とは知識や教養を指すのではなく、物事を正しく捉える力のことです。「ダンマパダ62」も諸行無常について述べたものです。
愚かな人は、
「私には息子がいる」
「私には財産がある」
などといってそれで
思い悩むが、
自分自身がそもそも
自分のものではない。
ましてやどうして、
息子が自分の
ものであろうか。
財産が自分のもので
あったりしようか。
●ダンマパダ62
私たちは自分以外のものが諸行無常であるということは、なんとなく想像できます。しかし、この自分という存在だけは、少なくとも自分が生きている間は存続していると思っている。しかし、それはおそらく脳の記憶物質か何かがもたらす錯覚で、本当は自分自身さえも一瞬ごとに別のものに変わっているというのが仏教の考え方です(仏教では人間を「いろいろな要素が集まった集合体」と考えます)。自分ですら変わるのに、ましてや自分以外の息子や財産などが永続するはずがない。だから執着するなということです。