「東京を首都、大阪を副首都」
2000年代に入ると「道州制」による地方分権の議論が活発になる。政党がマニフェスト(政権公約)を掲げて選挙を戦う中で、主要政党が道州制を掲げたのがきっかけで、2006年には地方制度調査会が「道州制の導入が適当」という答申を出した。
道州制を導入するには、国の権限を道州に移管することになるため、霞が関は基本的に反対姿勢だった。ましてや国会などを移転させる「首都移転」は官僚たちの「都落ち」を意味するため、のらりくらりと抵抗した。もちろん「首都」から滑り落ちる東京都は大反対である。首都移転はいつの間にか「首都機能移転」に矮小化され、文化庁を京都府に移転させた他は、一部の機能を移すに留まっている。
そんな中、2011年に東日本大震災が起きると、再び東京での大災害への危機感が高まった。そこで登場したのが「副首都」だった。当時の石原慎太郎都知事と橋下徹大阪府知事が、「東京を首都、大阪を副首都」とする方針で合意した。
この頃から日本維新の会の独自の政策として、大阪府と大阪市が共同で副首都を設置していくというビジョンが本格的に掲げられるようになった。維新が掲げる副首都構想は、2度住民投票で否決されている「大阪都構想の焼き直しだ」と批判されるのはこのためだ。維新は2023年の通常国会で「副首都機能整備推進法案」を独自提出していたが、この時は実現しなかった。
自民が維新と組んだから法律が通った
今回、法律が通ったのは、自民党が維新と連立を組んだためだ。衆議院で圧倒的な議席を握ったとはいえ、参議院では過半数に届かないため、高市首相は何としても維新との連立を継続して政権を安定させる他ない。維新が強く望んだ副首都法案を、会期末ギリギリで通したのはそんな高市首相の意向が大きかった。
副首都ならば、首都である東京都の地位は揺らがないため、東京都は反対しない。さらに、首都機能を「移転」させるのではなく、新たにスペアを作るわけで、国の権限が削られることはなく、霞ヶ関にとってはポストが増える可能性すら出てくる。
さらに、今回の副首都法のポイントは、「副首都」を道府県に絞ったことだ。道府県の中に政令指定都市がある場合は、政令市を特別区に再編するか、政令市と道府県が連携協定を結んで行政体制を構築することが求められる。前者はまさに維新が進めようとしてきた「大阪都の下に特別区を置く」という構想に他ならない。

