母とは疎遠、「何にも縛られたくない」
母親との関係は、現在ほとんど途絶えています。東京にいることと、大学を中退したことだけは伝えていますが、それ以外の生活の実態は一切知らせていません。最後に連絡を取ったのは、コロナ禍の初め頃だといいます。
「今、全く縛られていないんで。何にも縛られたくない、というか。大学も中退して、ある種、自分で仕事もやっていて、経済的に自立していて、というところに入ってきてほしくないなと」
とはいえ、両親を恨んでいるわけではない、と高橋さんは言います。
「そんなにクソ家庭だとは思ってないんですよ。学費も出してもらいましたし、勉強させてもらえない家庭に比べたら、当たりだったなって」
母親から求められた「全部1位であれ」という生き方についても、今の仕事に役立っている部分があると認めます。
「勝ち残る術としての『一位たれ』という生き方は、今の自分を助けてる部分はあると思います。認めたくはないですけれども」
ハードモードの10代を、自力で切り開いた
高橋さんは、自身の10代を「ハードモード」と振り返ります。
「10代は(人生が)ハードモードだと思ってました。全部けっこう行き当たりばったりで、小6の時から急に『頭いいらしいじゃん』って学歴エリートの道にボーンって乗せられて。『ちょっと順応してみるか』みたいな感じで走ってきたけど、それでも早稲田に入っているし、(自分の力で人生を)切り開いてきたから、やっていけるだろうというのはあると思います」
将来については、60代になっても、形を緩やかに変えながら現在の活動を続けたいと話します。目指しているのは「穏やかなおじいさん」。飲み歩きをしながら、視聴者とともに年齢を重ねていくつもりです。
「悩むって、意味ないじゃないですか、根本的に。食いたい時に食って、飲みたい時に飲んで。(こうした今の活動は)単純に楽しいですね」
学歴のレールを降りても、学歴は使える
高橋さんの人生は、一見すると、学歴のレールから完全に降りたように見えます。会社員にならず、企業にも事務所にも所属せず、部屋はゴミ屋敷。母親が求めた「東大か京大」からは、遠い場所にいるようにも思えます。
母親の期待に押されて始めた受験勉強も、家を出るために入った早稲田も、高橋さんが強く望んだ道ではありませんでした。それでも、そこで身につけた分析力と「早稲田」という看板は、現在の活動に生かされています。
高橋さんは学歴を捨てたのではなく、その使い方を変えたのです。学歴のレールから降りた後も、学歴を巧みに使い倒していると言っていいかもしれません。
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