「テスト98点」なのに母に泣かれた

高橋さんは子供のころから「勉強ができる子」だと思われていたわけではありません。ただ、小学6年生の秋ごろに受けた無料の模試で、国語で全国4位を取ったことによって彼の人生は変わります。

「何かの無料の模試みたいなのを受けたら(母親が)『良かったぞ』って言って、急に目の色が変わって、塾に通わせよう、みたいな感じになりました。国語は本を読んでたってだけなんですよね、本当に。子供の時はあらゆるものを読んでいました。学校の図書館の本は全部読みました。地元の図書館は、行けるだけ行って借りるくらいでした」

もっとも、母親の期待はこの時に始まったものではありません。小学校低学年の頃、テストで98点を取ったら、母親に泣かれたことがあります。100点ではなかったからです。友達の名前を挙げて「あの子は何点だったの」と比べられる。勉強だけでなく、運動も、遊びも、「全部1位であれ」という家庭でした。

勉強をする子供を見ている母親
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母親が求めていたのは社会的な成功というより、近所や親戚に自慢できる「地域で一番賢い子」であることだったと高橋さんは振り返ります。

結局、母親の希望で受験勉強を始めます。母親は、鹿児島にある全国屈指の中高一貫男子校であるラ・サール学園を目指させようとしましたが、準備に時間が足りず受験しなかったそうです。その後、2週間ほど塾に通い、地元の私立進学校に上位で合格。特待生として入学しました。

「家を出るなら東大か京大」という母の圧

中学時代から母親が言い続けていた言葉は、「家を出るなら東大か京大じゃないと」。その背景には、家業の存在がありました。実家は中小企業を営んでおり、3人兄弟のうち誰かが継ぐことが前提とされていました。

「長男のお前は家業を弟に押し付けるんだから、それぐらいの成果は出すんだよね、という空気は、もう完全にありました」

一方、父親は勉強に関してはほぼ無関心。母親は自分の学歴を明らかにしておらず、高橋さんがそれを知ったのはずっと後になってからです。

「てっきり母親は高学歴なんだと思ってました。その時は知らなかったんですよね。自分の学歴は隠してたんで。ずるいですよね」

家庭内では、母親の機嫌次第で叱られ方も変わりました。「一番機嫌が悪いと、泣き喚く。叩く時もあるし、物を投げる時もありました」。

親が泣き喚いている時の高橋さんの対処法は、シンプルなものでした。

「勉強するんです。そうしたら、もう(親が勉強部屋に)来ないんで」