「小遣い制」は「稼ぐループ」から外れている
小遣い制にはもっと単純な欠陥もある。がんばる理由が消えるのだ。残業しようが、資格を取ろうが、必死の思いで昇給を勝ち取ろうが、本人に配給される額はほとんど変わらない。給料が増えたぶんは家計に吸い上げられ、ボーナスも没収される。がんばりのリターンが本人に還元されない設計である。歩合ゼロの営業マンが数字を追わなくなるのと同じで、これでやる気を保てというほうが無理がある。
かたや稼ぎを自分で握っている人は、稼げば稼いだだけ自由なお金が増える。学べること、会える人、試せることが増え、さらに稼げるようになる。大成する人はみんなこのループを回している。小遣い制はそのループを入り口で断ち切っているのだ。
小遣い制で失うのは、自己投資の機会や稼ぐ意欲だけではない。お金を使って、自分で判断する経験まで減っていく。何にいくら払うのか。これは必要な出費か、ただの浪費か。少し高くても買う価値があるのか。お金を自由に使える人は、大小さまざまな買い物のたびに、こうした判断を繰り返している。
稼ぎ頭の稼ぐ力を増やすのが一番の近道
わたしは昔から「自分のパンツくらい自分で買え」と言っている。パンツまで妻に選んで買ってもらっている男は、日常の小さな意思決定まで人に預けているということだ。自分の頭で考え、お金を使う経験が圧倒的に少なくなる。
お金を使う判断力は、筋肉と同じである。日々鍛えなければ身につかない。使わなければ衰える。数千円、数万円の買い物ですら自分で決める機会が少ない人が、ある日突然、会社で数千万円の予算を任されて的確な判断ができるだろうか。
自分の財布を明け渡すということは、単に自由に使えるお金を失うだけではない。出世に必要な「お金を動かす訓練」の機会まで手放しているのである。
「うちは妻が家計を守ってくれているから回っている」と言う人もいるだろう。であれば財布を握る側にこそ損得を考えてほしい。世帯でいちばん利回りの高い投資先は、NISAでも節約でもなく、稼ぎ頭の稼ぐ力だ。月4万円に切り詰めて浮かせた数万円とは、リターンの桁が違う。
小遣い制とは、目先の管理のしやすさと引き換えに、世帯最大の収益源への投資をゼロに絞る行為なのだ。妻に小遣いを増やしてほしいとお願いするのではない。「このお金を使って、もっと稼ぐ。家計にも返す」と伝えろ。そして有言実行で稼げ。

