「論点のすり替え」に見えた広陵高校の会見
次に挙げたいのが、いじめ問題で夏の甲子園から出場辞退を発表した広陵高校の堀正和校長による会見です。ここに関しては、会見そのものの良し悪し以前に、そこに至るまでのプロセスに大きな問題がありました。
冒頭でも触れましたが、企業や個人の不祥事は適切な初動対応ができていれば、記者会見を開かずに済むことはあります。広陵高校のケースでは、暴力を受けた被害者(生徒・保護者)への対応や、初期段階での情報開示が不十分だったために、SNS上で学校への批判が拡大し、結果として会見の場に引きずり出されてしまった、という初動対応に失敗した典型例です。
「なぜもっと早く対応しなかったのか」「隠蔽していたのではないか」。そうした世間の疑念が膨れ上がった状態で会見を開けば、当然、記者からの追及は厳しくなります。会見を行わなければならない状況に陥った時点で、危機管理としてはすでに手遅れでした。
また、会見での発言にも大きな問題がありました。校長は辞退の理由として「高校野球の信頼を大きくなくすことになる」「SNSで叩かれ、生徒の通学に支障が出ているため守る必要がある」と説明しましたが、これは結果として“論点のすり替え”に映りました。
そもそも生徒による暴力事件を解決できていなかったこと、その状態で甲子園に出場していたことにこそ真の原因があるからです。
「透明性」がなく誠実な態度に見えなかった
本来設定すべき「キーメッセージ」は、もっとシンプルであるべきでした。
暴力事案があった事実を認めた上で、被害者への対応と説明が不十分だったこと。その結果として、出場判断を含め大会に混乱と迷惑をかけたこと。そして、結果として野球部員や生徒に恐怖感を与えてしまったのは、すべて学校側の判断ミスであったと謝罪する。これに尽きます。
先に挙げたポイントの一つである「透明性」には、「企業の倫理・業界の常識の徹底排除」が含まれます。しかし広陵高校の場合は、世間の常識ではなく「自分たちの常識」で物事を考え、あろうことか自分たちがSNS批判による被害者という立場を前面に出してしまった。これでは誠実な姿勢には映りません。
もちろん、暴力事件に関しては未成年のプライバシーなど、話せる部分と話せない部分があったでしょう。それでも学校側として「どのような通報があり、どう調査し、どう判断したか」というプロセス、そして被害者への対応はどうだったのかについては、「情報開示」の観点からも誠実に明らかにすべきでした。

