スランプを気に病んで、亡くなった漫画家も見てきた

だから、自分が原作を書いてヒット作にできなかった漫画家には、「ごめんなさい」と今も後悔の念を抱く。たとえ、自分でいい出来栄えだと思っても、売れないこともある。なによりも「きつい」のは、1作品でも組んだ漫画家が、漫画の世界を離れていくことだ。

「本当に不器用で真面目な漫画家さんが多いからね。俺の原作で書いた後、その漫画以上のものを自分で描こうとして、立ち止まっちゃう人もいるんですよ。それで病んでしまって、亡くなった人がふたりいます。自分の力で自由に描こうとすると、ピュアな思いが溢れちゃうんだよな。俺みたいに長く走れるように、濁しておけってよくいうんだけど」

1972年に原作者としてデビューしてから、公私ともに大勢の漫画家と出会い、その才能と苦悩を目の当たりにしてきたこと。若手の漫画家の成長を促すサポート役として、成功も失敗も噛み締めてきたこと。それが、若手を育てる「漫画塾」を開くきっかけになったのかもしれない。