シェイクスピア×ダンテが原案
細田監督が公言するとおり、『果てしなきスカーレット』の下敷きになっているのはシェイクスピアの復讐劇『ハムレット』とダンテの『神曲』だ。
16世紀のデンマーク、父王アムレットに溺愛されて育っていた王女スカーレット(芦田愛菜)は、自分に嫉妬する母親と父の弟(叔父)クローディアスの陰謀により、目の前で父を無惨に処刑され、叔父への復讐を誓う。しかし、暗殺に失敗してみずからが瀕死の状態になり、死者と生者が邂逅する「死者の国」に落ちた。そこで荒野をさまよううちに、憎い叔父も死して同じ空間にいることを知り、今度こそ復讐を遂げるため、叔父の手下や盗賊たちと戦っていく。
本作を「失敗作」「クソ映画」「脚本が破綻」と言う悪評をネットで見たとき、名作『ハムレット』を原案にしているのにそんなに面白くないストーリーになるのか、そのほうが難しくないかということが疑問だったが、実際に見たところ、ツッコミどころは多々あるものの、やはりベースの物語は破綻していなかった。冒頭からラストシーンまで、スカーレットが復讐を遂げるべきかどうかというテーマが貫かれている。
しかし、そもそもの企画が間違っていたのかもしれない。復讐劇であるのはともかく、シェイクスピアとダンテ、『ハムレット』と『神曲』という海外の古典が、「今の日本の観客には受けない」というマーケティング上のリスクが軽視されていたのではないか。
ヒットしているのは日本的な題材
ハリウッド映画などの洋画が不振に陥って久しく、今年実写で最大のヒット作は伝統的な歌舞伎の世界を描いた『国宝』。漫画やアニメでヒットしているのは鬼退治や呪術バトルや墓場の少年の物語。舞台のほとんどが日本だ。シェイクスピアとかダンテとか言われても……と内向きになっている観客の食指が動かないのは予想できたはずだし、類似作品の興行成績というデータの根拠もあったはずだ。何より、細田監督こそがこれまでの6作で「現代の日本」を舞台にして成功してきた。
マーケティングがなんだ、クリエイター(映画監督)のやりたいことを優先すべきだという考え方もあるし、筆者も映画製作においては基本的にはクリエイティビティ(創造性)がしっかり確保されるべきだと思う。『果てしなきスカーレット』も、細田監督の新しい挑戦として受け止めたい。
しかし、マーケティング的に勝算はなくとも「こういう世界観を作りたいんだ」という姿勢を貫いてくれればよかったのだが、この作品についていきたかった観客の気持ちをも台無しにするシーンがあるのだ。

