②オイルショック期(1970年代以降)
1973年のオイルショックと1979年のイラン・イスラム革命により、中東地域に対する日本人の関心は一気に高まった。変な話だが、もしオイルショックがなければ、筆者の研修語はアラビア語にならなかったかもしれない。そして、筆者が中東を直接知らなければ、今のような外交評論は恐らくできなかっただろう。その意味で、筆者は「石油戦略」を発動したアラブ産油国に感謝しなければならない、とすら思う。
それはさておき、1967年の第三次中東戦争以前から、日本ではアラブ民族主義、パレスチナ紛争、中東での米ソ対立などに関する研究が本格化していた。当時学界の主流は「反欧米中心史観」に基づく「アラブ民族主義」礼賛だったことは既に述べた。ところが、1970年代のオイルショック後は、一転して経済関係の研究が飛躍的に増加していく。当時の議論は専ら原油・天然ガスなどエネルギー資源を「いかに確保するか」だったと記憶する。
③「テロとの戦い」の時代(2000年代以降)
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、中東では米国による「テロとの戦い」の時代が始まる。これに伴い国際政治における中東の位置付けも再び変化していった。米国の軍事活動はアフガニスタン、イラクだけでなく、シリアにも及んだ。同時に、米国の戦略的関心も、イスラエルの安全保障の確保から、中東におけるイランの脅威、湾岸アラブ産油国からのエネルギーの間断なき流れの確保の方に、徐々に傾いていった。
当然、世界の中東研究にも変化が生じ始める。伝統的な中東地域研究が、国際政治学や安全保障研究などと密接に結びつくようになったのだ。国際テロリズム、中東での各種紛争、主要国間の覇権争い、クルドなど少数派集団などをテーマとする研究も増加した。これに対し、日本では若い研究者を中心に中東をより多角的に捉える研究が増えたものの、中東を日本の安全保障の観点から多角的、戦略的に分析するという発想は生まれなかった。

