日本人は、破壊と絶望から立ち上がる

ダライ・ラマ14世

東日本大震災のニュースを聞いたとき、私はすぐにこう思いました。「ああ、なんと辛い体験だろう」。そして、私は同じ人間として、兄弟として、「あなたたちは、ひとりぼっちではないのだ」とも思いました。2011年秋までに、私は37回も日本を訪れています。たくさんの日本人の友人もいます。ですから、私は即座に日本に赴き、悲しみや辛さを分かち合いたいと考えたのです。

11年11月、その願いがようやく叶って、宮城県石巻市を訪れることができました。自然は突然、人間を打ちのめしました。絶望が襲った場所です。私は、津波が押し寄せ、その威力がもたらした破壊の痕跡を見ました。そして、この地域に暮らしている人々とお会いしたとき、握手をしたいと思わざるをえませんでした。と同時に、涙が流れ出しました。私は、悲しかったのです。

しかし、これはもう起こってしまったことなのです。起こってしまったことは、どうしようもありません。いつまでも、悲しみに暮れていてはいけないのです。辛いかもしれないが、苦しいかもしれないが、前を向いて歩いていくしかありません。

私たち人間には「叡智」というものがあります。叡智のひとつに、「物事を広く見る」ということがあります。悲劇や不運に見舞われたとき、ほかの同じような出来事や過去のもっとひどかった状況を思い出すことが、とても役に立つのです。

自分にそうした経験がなければ、他人の経験でも構いません。むしろ、そのほうがいいでしょう。なぜなら、関心を自分のことだけに集中させるのではなく、他人に向けられれば解放されたように感じられるからです。

我とわが身のことばかり思い悩んでいると、苦しみは一層大きくなります。反対に、自分の苦しみを、他人の苦しみと関連づけて考えられるようになれば、たいていはそれが耐えられない苦しみだとは思わなくなるものです。