役者絵の大首絵を美人画にするという発想

とはいえ美人画の歴史の中で「蔦重―歌麿」が最初の美人大首絵の発案者、創始者というわけではない。『喜多川歌麿』で浅野秀剛は美人大首絵の嚆矢を指摘している。

「宝暦7年(1757)ころ刊行の洒落本、普穿山人ふせんさんじん著『秘事真告ひじまつげ』の付録『艶史人相七品考いろごとにんそうなないろのかんがえ』であろう」

この洒落本は上方での開板のうえ、世に出た時の蔦重は8つ(両親が離縁し叔父の利兵衛の養子となった年)、歌麿は通説だと5歳だから初版時に眼にしたことはなかろう。その後も幾度か美人大首絵は摺本となっている。ただ、これらは大評判を得るに至っていない。