※本稿は、井上章一『阪神ファンとダイビング 道頓堀と御堂筋の物語』(祥伝社新書)の一部を再編集したものです。
阪神ファンの「パレード」は御堂筋を南進
1985年の日本シリーズ終了後、午後6時すぎに多くの阪神ファンは梅田へ結集した。阪神百貨店前で、気勢をあげている。その後、彼らは道頓堀へむかった。御堂筋を南へ行進したのである。11月2日のことであった。この現象は、ファンのなかに御堂筋パレードへのあこがれがあることを、暗示する。
この年に球団を主催者とするパレードは実施されていない。しばしば暴走するファンがいる以上、街頭での行事はうけいれられなかった。かりに、球団がそれをもとめたとしても、行政ははねつけただろう。まあ、球団がそれを要望したのかどうかは、わからないのだけれども。
ただ、一部のファンが御堂筋を行進したことは、興味ぶかい。しかも、彼らは梅田から道頓堀へ、つまり南にむかいすすんでいる。
南海の祝賀パレードとは「真反対」
旧南海ホークスのパレードは、御堂筋を北上した。難波を出発し、道頓堀をこえて、梅田にたどりついている。阪急百貨店や阪神百貨店に面したエリアまで凱旋した。1985年の阪神ファンは、真反対の方向へ御堂筋を行進したことになる。
阪神も阪急も、電鉄の軌道を難波へのばしたいという夢は、いだいていただろう。だが、大阪市のいわゆるモンロー主義に、それをはばまれた。ならば、かわりにプロ野球の祝賀パレードで、南進への欲望を発散させたい。以上のような願望は、潜在的にいだいていたと思う。
1959年に南海電鉄は、パレードでホークスの面々を北進させた。電鉄延長という意欲の代用品とも思えるパレードを、北の梅田までくりひろげている。阪神や阪急が凱旋におよぶ場合は、とうぜん南のほうをめざすこととなる。そして、1985年の阪神ファンは、南へむかって歩をすすめた。彼らは、どこかで阪神電鉄と夢を共有していたのかもしれない。

