鳩山邦夫
1948年生まれ。東京大学法学部政治学科、同大学法学部公法学科卒業。田中角栄元総理大臣秘書などを経て、76年に衆議院議員選挙に出馬し初当選、以来12選を果たす。

邦夫氏は「私は生来の勉強嫌い。庭の片隅でナスやピーマンを栽培したり、いまも趣味にしている蝶(ちょう)を追いかけて遊んでいました。勉強というのは“自己責任”ということが徹底されていたのです」と振り返る。

そんな邦夫氏だが、たった一度だけ母から「勉強しなさい!」と叱られたことがある。学習院初等科中学年のころに社会のミニテストがあった。それがひどい点数だったらしく「とにかく机に向かって、教科書を読みなさい!」と注意されたのだ。

「もともと算数の計算は得意でクラスで1番。国語も小2のときに『原色日本蝶類図鑑』を買ってもらい、説明文を周囲の大人に読んでもらっていたので、飛翔(ひしょう)とか美麗、垂涎(すいぜん)などという難しい漢字の読み方も意味も知っていました。ただ、暗記モノはヤル気がなかったので苦手でした」

そこで邦夫氏は、社会科の教科書を開き、試しに数年後に開通を控えていた東海道新幹線の東京~新大阪間の所要時間やインドネシアの島々の名前を覚えた。すると、ミニテストにその問題が出て、簡単に100点が取れた。邦夫氏は「なるほど、勉強すれば満点が取れるのだな」と、勉強の効用に気づいたという。

こうしてみると、鳩山家のお母さんたちは、いずれも子供の教育に熱心だったことがわかる。子供たちの優秀さは、彼女たちの賢母ぶりに負うところが少なくないといっていい。

とはいえ、邦夫氏には頑固な一面もあった。周囲の雰囲気から「小3のころには東大に行くのは当然」と思っていたものの、中等科卒業までは、夕食後は勉強を一切しないで、プロ野球のナイター中継を見たりして過ごすことを日課にしていた。その理由は、中等科時代の恩師から「勉強なんて晩飯前に終え、学校の定期試験はお茶の子さいさいでいい点を取るくらいでないと、東大合格などおぼつかない」との言葉を金科玉条のごとく守ったからだ。