「変えたくないなあ」

この気持ちが永田町の守旧派にあることは確かだろう。

インターネットを選挙活動に利用するかしないかの話である。参議院選挙の公示日(24日)を境に、候補たちはHPやブログ、ツイッターの更新ができなくなった。明らかに時代と逆行する流れである。

ご存じの方も多いと思うが、今夏の参院選から「ネット選挙」が始まる予定だった。公職選挙法改正案は与野党で一応合意していたが、通常国家では提案もされずに16日に閉幕。法案改正は先送りされた。

候補たちが24日までに更新した情報はそのまま生かされるので、大勢に影響がないとの意見もある。しかし、選挙期間中の動向を有権者に伝えてこそ本当の選挙活動といえる。この点で候補は法律に縛られ、選挙戦での思いをネットでは伝えられない。日本では候補の個人的なテレビ広告も禁じられている。

現在の公職選挙法は1950年に制定されたものである。当時はテレビやインターネットを使用した選挙活動は視野に入っていない。21世紀になっても第142条1項、ならびに第146条の「文書図画の頒布」が適用され、インターネットによる情報発信に縛りがかけられている。さらに第150条の「政見放送」の条項によってテレビ広告も自由に流せない。これは候補たちの手足にオモリをつけたような事態である。

アメリカでは96年の大統領選挙が「ネット選挙」元年と言える。クリントン大統領の再選時、日々の選挙活動や政策をHPに載せた。14年たった今でも当時のHPにアクセスが可能である(クリントン選対HP)。同年、共和党から出馬していたボブ・ドール氏もHPを開設した。

アメリカは90年代から、ためらいもなく選挙戦にインターネットを活用し、情報公開の場を増やすと同時に双方向型のコミュニケーションをとり、候補と有権者の意思の疎通を図ってきた。アメリカでも以前、「ネット選挙」への危惧はあった。実際、候補を誹謗中傷したウェブサイトは10や20という単位ではなかったし、偽物のHPも登場した。だが、インターネットの活用によるプラス要因の大きさがマイナス要因を凌駕した。

情報の流れだけでなく、選挙資金の集金が飛躍的に拡大したことも大きい。拙著『なぜアメリカ金融エリートの報酬は下がらないのか』では、金融問題だけでなく日米の選挙についても踏み込んでいる。