そして『硝子の少年』が爆誕した

そしてそのときはやってくる。97年7月に、2人はついにCDデビューを果たす。主演ドラマの主題歌など、既にオリジナルの曲も多かった彼らはアルバムとシングルの同時発売でのデビューとなった。『硝子の少年』は、累計179万枚と、ジャニーズのグループのデビュー曲として最多の売上を記録している。

その後も99年『フラワー』、2000年『夏の王様』などヒット曲を出し続け、テレビ出演も続いていたが、2000年代に入ると少しずつ活動の形が変化していく。

まだ連続ドラマの主演なども多く、芸能界の中心を走っていたといってもいい1999年1月、堂本光一は『SHOW劇'99MASK』でミュージカル初主演を飾る。この作品は『PLAYZONE』で少年隊が演じてきた演目をアップデートしたものである。ジャニー喜多川に「ミュージカルやらない?」と誘われたのがきっかけだ。

翌年、2000年にはジャニー喜多川作・演出のミュージカル『MILLENNIUMSHOCK』で21歳での帝国劇場史上最年少座長を務める。これは同劇場への初めてのジャニーズタレントの出演であり、当時を「『帝劇の歴史を汚した』というような批判をたくさん受けました」(※18)と光一が振り返るくらいエポックメイキングなことだった。

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帝劇の顔となった光一、シンガーソングライターの剛

『SHOCK』に5年間出演したのち、2005年からは自らが構成・演出を務める形での『EndlessSHOCK』に刷新した。自身で作曲も行い、作品は権威ある『菊田一夫演劇大賞』を受賞し、2024年には上演が2000回を超え、光一は日本の演劇の最多単独主演記録を更新し続けている。端的に言えば、質も量もすごいものを四半世紀の間やり続けてきたのである。

2023年には帝国劇場の年間9作の上演作品のうち、ジャニーズ作品が4作と約半分を占めている。「汚した」という声が上がった頃からすれば隔世の感があるが、これはこの20年で光一及びジャニーズの実績が認められた証だろう。さらに、9作のうち2作に光一が主演し、別作品2作には演出として関わっているなど、もはや光一は帝劇の顔といっても過言ではない。

舞台を通して、光一は四半世紀をかけて芸事の道に邁進してきたと言っていいだろう。

一方、堂本剛は、ジャニー喜多川の「彼に音楽をやらせてあげてほしい」(※19)というレーベルの社長への伝言をきっかけに、プロデューサーは立てずに、2002年にこれもジャニーズ史上初めて、自ら作詞・作曲を務める形でシンガーソングライターとしてソロデビューする。『街』は主演ドラマの主題歌でもあり、当時の剛もまだ“芸能界”の中心にいた頃と言っていいだろう。