国民的アイドルグループ「SMAP」が2016年12月31日に解散して8年がたつ。元メンバーがそれぞれの道を歩む中、木村拓哉さんは映画、ドラマ、舞台、CMに至るまでその姿を見ない日はない。なぜキムタクは輝きを失わないのか。「ジャニオタ男子」として旧ジャニーズタレントを追い続けている霜田明寛さんが解説する――。

※本稿は、霜田明寛『夢物語は終わらない 影と光の“ジャニーズ”論』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。

SMAP解散後に起きた“変化”

ここで2022年には50代に突入した近年の木村拓哉について見ていこう。

もともと、SMAPの他のメンバーのように個人でのバラエティ番組がなかった木村は、解散後、必然的に俳優業がメインとなった。さらに2020年からはソロでの音楽活動も始動させ、アルバムを出しコンサートも行っている。

楽曲は山下達郎や森山直太朗もりやまなおたろう、DragonAsh・Kjの提供曲や、鈴木京香すずききょうか明石家あかしやさんまといった木村への理解の深い人物に詞を提供してもらったものなど、組む相手を選ぶ時点から作り込まれた印象だ。楽曲提供をした久保田利伸くぼたとしのぶは「人生観まで声に乗せてくれた」と木村の表現を絶賛している(※1)

だが、アルバムの発売に際しては、SMAPの頃には当たり前のようにされていた、発売時期に行われる歌番組への出演なども抑えられ、過度なプロモーションはされない。商品というよりも“作品”に近い届け方になっているのだ。2022年の『ぎふ信長まつり』では、1万5000人分の立ち見の観覧席に、96万6555人が応募し、当日の木村拓哉ふんする信長の行列に熱狂する様子が大きく報じられた。

騎馬武者行列で声援に応える俳優の木村拓哉さん=2022年11月6日
写真=時事
騎馬武者行列で声援に応える俳優の木村拓哉さん=2022年11月6日

ジャニタレトップクラスのCM本数

50歳を目前にしても“キムタク”はまだキャーキャー言われる存在なのだ。休日に岐阜にまで足を運び、木村を生で見たいと考える人間が少なくとも約100万人はいる。芸能界に生きる木村拓哉=キムタクは未だに支持されている。

“キムタク”のブランドはなおも健在で、そこに頼る企業は多い。2022年10月時点での木村のCM契約社数は9社。この数字は当時の全ジャニーズタレントの中でトップだった。1996年2月時点では5社だったことを考えると、この四半世紀、様々なブランドの顔を務め続けた上で、なお増えていたのである。

その一方で、近年の木村は、作品を作るのは「すべてのスタッフとの共同作業(※2)」と話す。主演映画の舞台挨拶などでも「俳優部のひとりとして……」と、あくまで自分は作品の一部であるという言葉の選び方をしたり、2023年には月9ドラマの会見で「月9ってもう言わなくても……」とフジテレビの“月9煽り”に苦言をていしたりと、作品づくりにより邁進しようとする姿勢が垣間見える。