「君たちは2人ともプロデューサーだからね」

KinKi KidsはCDデビューの前から芸能界でのブレイクを果たし、現在では芸事に邁進している2人でもある。2人はデビュー間もない頃、ジャニー喜多川にこう言われたという。

「君たちは2人ともプロデューサーだからね」(※11)堂本剛は「最初の頃は何のことかわかってなかった」(※12)と言うが、今や彼らは自らのプロデューサーとしての側面を持ち、さらには本書で一貫して述べてきた“アイドルでありアーティスト”を体現している2人でもある。

また、堂本剛はKinKi Kidsのことを「ジャニーさんのある種の理想を託された」(※13)とも語っている。その誕生から現在に至る流れを振り返ってみよう。

1992年に「KANZAIBOYA(カンサイボーヤ)」として誕生した彼らは、94年に揃って出演したドラマ『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』で広く知られるようになり、その翌年も剛は『金田一少年の事件簿』、光一は『家なき子2』など、それぞれ人気ドラマに数多く出演する。

94年の大晦日には日本武道館でコンサートを行っており、1万3000人の客席に10万通の応募が集まったという(※14)

今やCDデビュー前のジャニーズJr.のグループが人気を博し、コンサートに集客があるのは通例のこととなっているが、この時代のKinKi Kidsはその先駆者でもある。歌手デビュー前に『ミュージックステーション』に出演したのもKinKi Kidsが史上初だった。

ジャニー喜多川氏が特別目にかけていた

96年には『LOVELOVE あいしてる』といったレギュラー番組も存在し、人気は爆発していたが、すぐにCDデビューをしたわけではなかった。1997年3月、なぜデビューさせないのか聞かれたジャニー喜多川は「今、KinKiがレコードをだしていたら、新曲をだすのに追われて、才能を多方面でのばす余裕なんかないですよ。

今はいろんな番組に出て才能をのばすとき」と、才能を伸ばすための時期としてあえて“温存”していることを語っている。売れるなら早く売ってしまえ、という発想ではないのである。

さらに、「KinKiはコンサート、次から次へやってて、レコード一枚出してない。これほど楽しいことないじゃないですか。ふつうはレコードを出さないと、コンサートにお客さんは来ませんから」(※15)と、CDデビューをさせていないのに、ショーの現場に人が集まっているという状況を喜んでいる様子がうかがえる。

2人への思い入れは強く、入所直後からなんと社長自ら2人の現場マネージャーを直接担当していたほどだったという(※16)

デビューを経てもその思い入れは変わらず、堂本光一自身も「デビューするとジャニーさん離れちゃうところあるじゃないですか。だけどKinKiの現場には必ず来てくれた。ずっと」(※17)と振り返る。