「迷惑です」と言われないと嫌がっていることに気づかない前向きさ
この風船事件からしばらく経って瀬川と宮本は婚約し、揃ってシナジーマーケティングを退社することになった。
瀬川は宮本の母親に結婚の許しをもらいにいき、こんな口上を述べたという。
「お嬢さんをください。因みに、会社は辞めます」
件のコテコテの大阪人だった宮本の父親は残念なことにすでに亡くなっていたが、もしも存命中だったら、「会社は辞めます」という瀬川の言葉を聞いて、ちゃぶ台をひっくり返したかもしれない。
宮本はいったい、瀬川のどこに惹かれたのだろう。
「瀬川は、いつも自信がなくて委縮して生きてきた自分と正反対の人です。いつも根拠のない自信にあふれていて、全てにおいて前向き。私が本当に嫌だと思うことを嫌だと言っても、『そんなん言っても、ほんまは嫌じゃないやろー』って、自分が相手に勧めることは、絶対相手にとっていいことだって信じて疑わない。だから、本当に嫌な時は『迷惑です』まで言わないと、伝わらないんです(笑)。そういう自分にはないストレートな前向きさがうらやましいし、正反対の性格だから、かえってバランスがとれるのかなと思ったんです」
起業することだけを決めて2人とも退社
自営業を営んでいた宮本の母親は、2人が会社をやめて独立することには反対を唱えなかった。そして、瀬川と宮本は無謀にも、起業することだけを決めて会社を辞めてしまった。
シナジーマーケティングのオフィスがある大阪の堂島近くに瀬川が借りていた家賃15万円の賃貸マンションで会社設立の準備を始めたが、2人とも「これをやろう」という具体的な事業プランをまったく持っていなかった。
あったのは、「人を笑顔にする仕事をしたい」という瀬川の初期衝動だけだった。