「入試面接」こそ、精神医療崩壊の根源
日本では、全国82の大学医学部すべてで、受験の際に「入試面接」が行われています。ペーパーテストに加え、1人ひとりの学生に対して面接を行っているのですが、この入試面接こそ、今の精神医療崩壊を招くことになった諸悪の根源だと、私は考えています。その理由を順に説明していきましょう。
大学医学部の「入試面接」は、40年以上前から行われてきました。
そもそも入試面接は、当初からいわくつきのシロモノで、かつては多額の寄付金を積んだ家の子どもに加点するためのシステムとして機能していました。
今でも医学部の入試面接の際、面接官から「寄付金、いくら積める?」と質問されることはあると聞いたことがあります。寄付金を募ること自体は問題ありませんが、少なくとも寄付金の額で入試の合否が決まるようなことは、現在は(表向きは)禁止されています。
代わりに「勉強ばかりして、人間的に医者に向かない者を落とす」との名目で、文部科学省が強力に入試面接を推し進めるようになったのは、90年代に入ってからだと思います。
世間ではちょうど「医者はカルテばかり見て患者の顔を見ない」といわれるようになり、それは受験勉強の弊害だから、医学部の入試はペーパーテストだけでは足りない。複数の教授が学生と20~30分面接をして、医者にふさわしい人間性を備えているかどうかを判定しましょうということになったのです。
私の母校である東大の理科Ⅲ類(医学部へ進学するコース。以下、医学部)でも、1999年から入試面接が行われるようになりました。
しかし、入試面接で入学した学生たちは画一的な人間が多かったことから、医者としての適性は入学後に判断するという大学側の意向で、2007年にいったん廃止されました。これは大英断だったと思います。
ところが、2016年には国公立大学のほとんどの医学部において入試面接が必須となり、18年には東大も入試面接を復活、20年には九州大学も採用しました。これによって入試面接をやらない大学医学部は私大も含めてなくなりました。いったい、なぜでしょう。
入試面接は「悪い子をはじくためのもの」
ペーパーテストの点だけでなく、人間性も重視する、という考え方は悪いことではありません。患者さんからすると、歓迎すべきことに思えるでしょう。
しかし、「人間性や医者としての適性を判断する」というのはあくまで建前で、入試面接の実態は、教授の気に入らない学生、教授に逆らいそうな学生をはじくフィルターなのです。
たとえば、2014年に東大医学部の学生有志が、同大教授らが臨床研究の不正に関わった疑惑に対して「公開質問状」を大学に提出しました。大学にとっては、こうした動きをする学生は好ましくないわけです。その4年後に入試面接が復活した。これは決して偶然とは思えません。
東大医学部で入試面接が復活することになったとき、東大の教授がある雑誌のインタビューで次のように述べています。
この言葉に出てくる「人」とは、誰のことを指しているのか。患者さんのことであってほしいと思いますが、「もしかして教授のこと?」と勘ぐってしまうのは私だけでしょうか。