「監督の言うことを聞くだけの野球は楽しくない」

エリート教育の本来の意味は、単純に持っている才能を伸ばすことだけではない。その集団の中で広く役立つ人材づくり、つまりはリーダーになりうる人材を育てることだ。

「森林野球」の神髄は、そこにこそあった。

普段は穏やかそうなショートの八木陽に高校野球の何を変えたいと思っているのかと問うと、少し怒ったような顔をし、語気も鋭くなった。

「監督にキツイ言い方をされて、それでもハイハイやるような野球は楽しくないですよね。春も(監督の)暴力騒動とかあったじゃないですか。なんでそうなるのか。一部の高校だとは思うんですけど、監督の力が強過ぎて、選手が受け身になっているからだと思うんです。自分は監督に対しても意見をちゃんと言うし、うちのチームにはそういう雰囲気がある」

大人の行き過ぎた指導態度に対して、現場の高校生が自ら声を上げるのを初めて聞いた気がした。

八木は2005年7月生まれである。当時、18歳だ。この言葉を大人に言われたのなら私は何も思わなかったかもしれない。しかし、私の半分も生きていない高校生に目の前でこう言われ、形容しがたい衝撃が走った。そうなのだ。選手の側も、嫌ならば嫌と言えばいい。

「俺は動物じゃねえ」と言えなかった

帰路、長いこと蓋をし続けていた記憶が鮮明に蘇った。30年以上も前の話だ。私は千葉県内の公立高校の野球部に所属していた。ある日の練習試合のこと、捕手だった私はベンチに戻るなり監督に配球ミスを指摘された。

「てめぇが悪いんだろ」

納得がいかなかった私は咄嗟に無言で監督をにらみ付けた。

すると監督は色をなした。

「ムカついてんのか?」
「ムカついてません!」

ムカついていたが反射的にそう返すや否や頰が火を当てられたかのように熱くなった。

平手打ちが飛んできたのだ。

「ムカついてんのか?」
「ムカついてません!」

そのやり取りをするたびに平手打ちを食らい、監督の顔に小さな赤い点が増えていった。私の鼻血だった。

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俺は、動物じゃねえ。心の中でそう叫んでいた。

次の回、キャッチャーマスクをかぶると、強い圧迫感を覚えた。頰が腫れ上がっていたせいだ。視野の下部に黒い陰が映る。自然と涙がこみ上げた。

屈辱だった。言葉で言われればわかります、そう伝えたかった。