もし日本人がメジャー・リーグの記録を破りそうになったら…
『菊とバット』を発表後、ホワイティングは再び日本を拠点に、ジャーナリストとして日本野球の取材を続けていた。そして1985年、自身と同じアメリカ人であるバースが露骨な敬遠策によって本塁打記録を阻止される光景を見ていた。見ながら、こんなことを考えた。もし逆に、日本人選手がメジャーリーグ(MLB)でホームラン王のタイトルを獲りそうになったりしたら、何が起きるのだろう、と。
「いちど、クリート・ボイヤーに次のような質問をしたことがある。もしも日本人の選手がメジャー・リーグに入り、ホームラン王のタイトルを獲りそうになったり、メジャー・リーグの記録を破りそうになったら、アメリカではどんなことが起こるだろう?
『ピッチャーは、そのバッターとまともに勝負するだろうか?』と、わたしは訊いた。『いや、答えはノーだな』と、ボイヤーはいった。『何人かのピッチャーは勝負しないだろう。そのうえ、“ジャップにタイトルを獲らせるな!”という連中もいるよ……』」(ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』、1990年)
日本人選手がメジャーで活躍するなんてありえないと思っていた
クリート・ボイヤーは1955年からMLBで17年間プレーした後、日本の大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)で4年間プレーし、引退後はホエールズのコーチを務めた人物だ。同時代に日本球界でプレーした多くの外国人選手と同じく、日本で「ガイジン」選手として差別的な扱いを受けたと感じていたボイヤーは、もし日本人選手がアメリカでプレーしたら、やはり差別的な扱いを受けるだろうと考えていた。
当時はまだ、MLBでプレー経験のある日本人選手が、1960年代にサンフランシスコ・ジャイアンツで2シーズンだけプレーした村上雅則しかいなかった時代だ。上記の会話が交わされた1980年代後半、日本の野球選手が海を渡ってメジャーで活躍するなんてあり得ない話だと、多くの人が考えていた。
さて、それから30年以上の時を経て、本当に日本人選手がメジャーリーグでホームラン王のタイトルを争う日が訪れるとは、ホワイティングもボイヤーも想像していなかったに違いない。