なぜ「当たり前」で差別化できるのか?
ここで重要な問いかけは、そんな直球ど真ん中勝負の当たり前な戦略が差別化を可能にするのか、ということだ。答えは(生命)保険という業界の「背景」にある。
たとえば理系受験コースなのに国語が得意な高校生、逆に文系コースなのに数学が得意な高校生、こういう人たちは同じコースの周囲の生徒からみて、やたらに国語(もしくは数学)ができるように見える。つまり背景とのギャップが鮮やかであり、それが独自性を際立たせているというわけだ(僕も会った人から「ガタイがいいですね。何かスポーツしているのですか?」と聞かれることが多い。もちろんスポーツは大嫌いでジム通い以外はまったく何もしていないのだが、「学者=理知的で草食系」という先入観が背景にあると、ガタイがいいように見える)。
ライフネットも生命保険業界のなかで似たような立ち位置にある。出口さんたちがやろうとしたこと、やっていることは、素直に消費者の立場に身を置いて考えるということに尽きる。商品と販売方法をシンプルにして保険を安く分かりやすくする、というのは顧客目線で考えれば当然の帰結だ。この当たり前の戦略が際立つのは、それまでの保険業界がひたすら供給者視点の悪循環に陥り、(実は本人たちにとっても)非合理なまでに複雑になっていたという背景の暗さがあったからである。
保険金の不払い問題にしても、この本で出口さんが書いているように「販売を優先したため、(複雑な商品を売るのであれば)当然に必要とされる被保険者単位での名寄せシステム開発など、必要十分な支払管理体制を構築するに足る経営資源(ヒト、モノ、カネ)を支払管理部門に配分しなかった」ことが理由で起きている。供給側の論理でことが循環していく中で、「消費者の論理が入り込む余地がなかった」のである。
これは保険の世界に限った話ではない。あらゆる業界において、手前勝手な供給側の論理で、商品や流通が複雑化していくのは世の常である。お客の立場で考える。まずお客を儲けさせてから自分が儲ける。商売をするうえで当たり前すぎるくらい当たり前の原理原則だ。ところが、供給側の論理にどっぷりつかった会社にとって、これほど難しいことはない。
生保業界でいえば、出口さんが指摘している保険約款の話が象徴的だ。ライフネットを起業するにあたって、出口さんは手始めに保険約款を入手しようと思った。近所の郵便局の窓口で「生命保険に入りたいので約款をください。勉強してから加入を検討したいのです」。驚くべきことに「商品パンフレットを差し上げますのでそれで加入を検討してください。生命保険を申し込まれたら、約款を差し上げます」という返事。別の生命保険会社の窓口でも結果は同じだった。つまり、「契約前には約款を渡さない」という商習慣が存在した。このことを初めて知った出口さんはショックを受けたという。
「生命保険商品の内容(約款)を理解せずに、どうして生命保険に加入申し込みができるというのでしょう。約款は、加入を検討している消費者には、無条件で渡すべきものだと私は思います。また、逆説的ではありますが、約款を事前には渡さないというまことに奇妙な商習慣が、生命保険商品の複雑化に拍車をかけたのではないでしょうか。約款を事前にわたす習慣があれば、消費者が約款の厚さに辟易して(複雑化に)ある程度の歯止めがかかったのではないか、と思われてならないのです。」
商品を比較できないようにしておいた方が商売は楽になる。だから、約款はあえて事前には渡さない。典型的な供給側の論理だ。先にも述べたように、供給側の論理は、ともすると商品やサービスを複雑化する方向に走る。なぜか。商品を単純化すると簡単に比較できてしまう。完全競争に近づく。そうなると余剰利潤が取りにくい。だから(往々にして無意識のうちに)単純化から逃げようとする。これは商売の宿痾といってもよい。
消費者の目線で考えれば、車や家電、あるいは住宅など、値段の張る買い物は商品を詳細に比較して買うのが当たり前だ。インターネットで検索すれば、性能や価格の比較表示が簡単にみられるという時代に、なぜ保険業界にはこうした比較情報が見当たらないのか。出口さんに言わせれば、「わが国の生命保険の主たる販売方法が『一社専属制』のうえに成り立っているから」である。ライフネットの起業に際してのビジョンの1つにある「(生命保険商品の)比較情報を発展させること」は、このような問題意識で掲げられている。