食品を落とすと「別の食べ物」に?

俗説で、食べ物の「3秒ルール」というのがある。食品を落としても3秒以内に拾えば食べても問題ない、というものだ。実はこれと似たような習慣が海外にもある(秒数は異なるが)。

床や地面が持っているばい菌(の表象)が、ある一定時間以上経過すると食品に伝染し、その食品はそれまでの食品とは異なるものになると考えるのだろう。こうしたことを検証しようとしたイリノイ大学のインターンシップで来ていたシカゴ農業科学校の高校生2人が、実際に食べ物の汚染状況が変化するかを実験したところ、5秒で微生物が移行したことが判明した。この発見で彼女たちは2004年のイグノーベル賞を受賞している。

写真=iStock.com/Image Source
※写真はイメージです

不浄なものが伝染すると考える「エンガチョ」

鎌倉時代から続く民俗風習のエンガチョは、誰かが不浄なものに触れると(たとえば糞便を踏む)、その不浄なものが当事者に移行すると考える。すなわち、モノの属性(不浄)が、それに接触した人に移行し、当該の人は不浄な表象を引き受ける(プロジェクションされる)と認識する。

面白いのは、当該部位を別の者にこすりつけることで、当人は穢れから解放されると考えることだ。またこすりつけられた側は、穢れを引き受けるとも考えられる。

鈴木宏昭・川合伸幸『心と現実』(幻冬舎新書)

移された方は、まったく穢れに接触していないにもかかわらず、さも自身が穢れに触れたかのように感じる。これはヒトからヒトへのプロジェクションと考えられる。一方で、当然だが自己からモノへのプロジェクションも存在する。モノや場所は、ある人にとって特別な意味を持つことがある。たとえば他人にとってはただの指輪にしか見えない結婚指輪も、当事者にとっては特別なモノと見なされる。

イスラム教やユダヤ教の聖地であるエルサレムは、それらの宗教を信仰する人にとっては、きわめて重要な場所である。エルサレムは、その機能によって価値があるのではなく、それぞれの人や文化集団の経験や歴史によって価値が生じている。したがって、その価値観を共有しない人からすれば、特別な意味を見いだせない。

このように自身の所有物や深く関わる対象に価値を見いだし、まるで自身と深く関わりのあるモノのように扱うことを、1950年代にウィニコットは「自己の延長」と呼んだ。