笠置は結婚を許さなかったせいを恨まず、尊敬していた

複雑な生い立ちゆえに、恨みや憎しみから目を背け、たくましく生きた笠置と、不幸の連続ゆえに自身の嫉妬と執着にからめとられ、最後まで最愛の息子の結婚も許すことができなかった吉本せいと、境遇は重なる部分もあるのに、その人生は対照的に見える。

伝記を読んだうえで、改めて「わろてんか」を思い返すと、もっと吉本せいという人間の欲や業などドロドロした感情を描く物語にしても面白かったんじゃないかという気がしてくる。山﨑豊子がせいを描いた小説『花のれん』とその映像化という先行作品もあるが、いっそのこと、尾野真千子など、情念を存分に表現できる達者な俳優で再ドラマ化してみても良いのではないだろうか。

ちなみに、笠置が一人で稼いで子を育てていく決意を固めたのも、吉本から継続的な支援が得られないという経済的理由が大きかったであろうことが、自伝から想像される。

なぜなら、笠置は吉本からの見舞金1万円について迷った挙句、マネージャー・山内(ドラマ内の山下のモデル)のこんなアドバイスにより、受け取ることを決意したためだ。

吉本興業を頼れなかった笠置は新曲「東京ブギウギ」に賭けた

「折角の御好意だから納めて置いた方がよかろう。しかし今後、物質的援助は謝絶し、あくまで自立の覚悟で奮発すべきだ。ただ、お見舞い金の封筒は吉本家との関係を証明するものだから大事にしまって置いた方が良い。ヱイ子ちゃんを認知するエイスケさんが亡くなり、今となっては吉本家とその御親族の御意志一つにヱイ子の運命が握られているのだから――ということだった」
(笠置シヅ子『歌う自画像:私のブギウギ傳記』1948年、北斗出版社)

表面的には母子を思う言葉のようでいて、その実、吉本に頼るな、あるいは吉本は頼れないだろうという現実を突きつけられた印象を抱いてしまう。ある意味、笠置は外堀を埋められ、誰も頼れない状況に追い込まれたところから、再び歌に本気で向き合うことになった。そこで服部良一に頼み込み、生まれた名曲が「東京ブギウギ」だったとも言えるだろう。

「笠置シヅ子の世界 〜東京ブギウギ〜」『東京ブギウギ』℗ Nippon Columbia Co., Ltd./NIPPONOPHONE
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