能登半島の先端、禄剛埼灯台を訪れた。住人がいない見附島や禄剛埼灯台を訪れたのは、過去に何度も訪れている場所が地震でどうなっているのか、確認したかったからだ。

禄剛埼灯台は、幸いにも見た目には大きな被害はなく、安心した。被害が大きい地域のことは多くのメディアが報じるが、被害がない場所のことは全く報道されない。それだけに、被害がないことも確認したかった。

能登半島の先端をぐるっと回り込み、県道28号を輪島市方向へ向かう。半島の西岸に出ると、海岸だった場所が岩礁になっており、海底が隆起した様子がうかがえる。

津波の被害が東岸に集中しているのは、震源地との位置関係もあるが、西岸が隆起したため津波が到達しなかったともいわれている。

激しさを増した路面の状態

海沿いは暴風が吹き荒れ、雪が横殴りになった。路面の状態も激しさを増し、大きな溝がクレバスのように開いている。その溝を跨いで走らなければならない。こうした、コース取りを試される場面が連続する。普段から悪路走行に慣れていなければ、この先に進もうと思わないだろう。

能登半島国定公園・椿の断崖展望台を過ぎたあたりで、直径5メートルはあろうかという巨大な落石に行く手を阻まれた。さらに前方を見ると、山の斜面が大崩落を起こし、完全に道路を覆い隠している。これ以上進むことができないため、折り返すことにした。

来た道を戻り、深夜に通過していた能登町の様子を取材しつつ、穴水町の避難所を訪ねた。感染症対策のため、避難所は原則的に部外者の出入りは禁止されている。代表の方に話を聞くと、食料は潤沢に確保できているし、避難している人たちが野菜等を持ち寄り、毎日温かい食事を提供できているという。ここ2、3日で主要道路が通れるようになり、マスクや手袋等の感染症対策の資材も届くようになったという。

車中泊で取材を続けていると話すと、「カップラーメンでも食べていく?」と声をかけていただいた。「遠慮しておきます」と丁重にお断りすると、「あらそうなの。それがマナーなのかしらね」とおっしゃっていた。

避難所を離れる頃には、すっかり暗くなっていた。日が昇ると渋滞するため、道が空いている夜のうちに輪島まで移動し、2回目の夜を迎えた。

翌朝、車のガソリンが少なくなっていたため、携行缶から給油した。携行缶から車に給油したのは、東日本大震災以来だ。

輪島の市街地に近づくと、倒壊家屋の多さが際立つ。見慣れた輪島の街が破壊され、無残な状態になっていた。地震により街がこんなにもことごとく破壊されるとは、夢にも思っていなかった。

交差点では、7階建てのビルが横倒しになっていた。ビルとともに倒れた信号機は、今も灯っていた。ビルの下敷きになった飲食店兼住宅には、救助作業の際にさらなる倒壊を防ぐために差し込まれた多くの支えが残ったままだ。

その場で手を合わせる。