選手は1日1000スイングも平気でこなすように

後のヤクルト、阪神、楽天時代の姿からはまったく想像できないが、可能性に満ちあふれ、これから何者にでもなれる無限のポテンシャルを秘めた少年たちに対して、野村は「褒めて育てる」という選択をした。

野村家の自宅庭では延々と素振りが繰り返されていた。回数を重ねるにつれて、手の皮はめくれ、足元もおぼつかなくなってくる。そんなときには野村からの激励が飛んだ。

「そうだ、いいぞ。その振りだ。もっともっと振れるぞ。よし、いいぞ。そのスイングの感触を忘れるなよ」

こうして、選手たちは1日1000スイングも平気でこなすようになっていく。連日のティーバッティングの成果もすぐに出始める。フリーバッティングでは、選手たちの打球の飛距離がグンと伸び始めていた。練習すれば成果が出る。小さな成功体験は、やがて大きなやる気へと繋がっていく。

後に野村は選手育成について、こんな言葉を残している。

人間は、「無視、称賛、非難」の順で試される。

「褒められているうちは半人前と自覚せよ」

このとき野村は中学生相手に「称賛」を選択した。また、こんな言葉も口にしている。

褒められているうちは半人前と自覚せよ。

自ら監督を務める新生チームに集まった中学球児たちは、まだまだ未知数の存在であり、「半人前」だった。だからこそ、この時点で「無視」や「非難」は適切ではないと考えたのだろう。

また、「褒めておだてるのは、そうしなければ自ら動こうとする意欲が引き出されないからである」と野村は言う。遊びたい盛りの少年たちと、職業として集ったプロ野球選手と同列に接するわけにはいかないのは当然のことだった。

この時点での野村は、中学生たちを「褒めておだてる」ことで、彼らが「自ら動こうとする意欲」を引き出そうとしていたのだ。

長谷川晶一『名将前夜』(KADOKAWA)

南海時代の70年から77年までの8シーズン、野村はNPBの選手兼任監督を務めた。監督就任時、野村は現役選手であり、34歳の若さだった。激烈なプロの世界で生き抜いてきた自負も、当然あっただろう。

しかし、そのやり方がそのまま中学生たちに通用するとは考えなかった。冷静な現状分析と臨機応変の対応。それが、野村の名将たるゆえんでもあった。

中学生には中学生なりの指導術があるはずだ─―。

自分の野球観をどのように中学球児に伝えればいいのか?

野村もまた、「中学生への指導」を模索しながらの監督就任だったのである。

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