「バカ」のもっともシンプルな定義はIQ(知能指数)を基準にすることでしょうが、これについては、日本だけでなく世界的にIQが一貫して上昇しているという頑健な証拠があります。「フリン効果」と呼ばれますが、1940年代から2000年代にかけて、60~70年間で40ポイント以上、およそ3標準偏差の上昇が見られます。
私たちがよく知っている偏差値では50を平均として1標準偏差が10ポイントですが、IQは100を平均として1標準偏差が15ポイントです。3標準偏差というのは、偏差値が50から80に上がったことに相当しますから、ものすごいちがいです。今の日本の若者は、終戦直後の日本人に比べて、とてつもなく賢くなっているのです。
フリン効果については、知能そのものが上昇したのではなく、知能検査の問題に慣れただけだなどの議論もありますが、「日本人が劣化している」というのは俗説の類いでしょう。
だとしたら今起きているのは、「バカ」が目立つようになったということではないでしょうか。
SNSの登場で教養主義は崩壊
かつては、「教養」が人々の上に燦然と輝いていました。中国の科挙は、身分や血統、武力ではなく、賢い者が社会を統治するというきわめて「リベラル」な制度でした。日本を含め、中国文明の強い影響を受けた東アジアはどこも識字率が高く、学歴を重視する社会になっています。
戦後日本は、悲惨な戦争への反省から、2度と「バカなこと」を繰り返さないために、教養を涵養することが大切だとされてきました。教養主義を象徴したのが朝日新聞や岩波書店の文化人たちで、東大・京大などの高偏差値大学出身の彼ら(ほとんどが男)が、政治家、官僚、大学教授などのエリートになって、社会の上層部を形成してきました。
全国紙や論壇誌、教養番組などのハイカルチャーに登場するのも、こうした教養人ばかりで、いわば「上級国民」です。それに対して「下級国民」である大衆は、自分たちの意見をメディアで発信することなどできず、スポーツ新聞や週刊誌、テレビのお笑い番組などを楽しんでいればいいとされてきました。
こうした「エリート支配」を大きく変えたのが、SNSであることは間違いありません。ツイッターには、バラク・オバマ元米大統領やイーロン・マスクのような1億人以上のフォロワーをもつ超セレブがいますが、社会的・経済的な地位や学歴でフォロワー数が決まるわけではありません。すべての参加者が平等な立場で、誰がもっとも人々を惹きつける発言をしたかを競っている。いわば、「言論空間の民主化」です。
今では、日本国の首相よりもインフルエンサーのほうが大きな影響力を持つようになりました。そればかりか、非エリートが、「対等な立場」でエリート(専門家)を批判することも当たり前になった。新型コロナワクチンについて、免疫学の専門家に対して、匿名のアカウントから「ウソをつくな」などの罵詈雑言が飛んでくるというのが象徴的な事例です。
こうして、エリートと非エリートの区別がなくなり、教養主義は崩壊しました。SNS時代には、誰もが主観的には「知的」なのです。