死を迎えるお手伝いも医療の役割

高齢者に対して本気で胸骨圧迫を行えば、間違いなく肋骨は折れます。命を救うためなら肋骨が折れようともためらわずにやるべきなのですが、老衰死するような患者さんが心肺停止に陥った場合、心肺蘇生をしても治ることはありません。

もしかしたら一時的に呼吸や脈拍が戻ることはあるかもしれません。ですが、また同じことが起こるでしょう。多くは意識がないので苦痛を感じないはずですが、もしも意識があるなら、肋骨が折れたり、喉にチューブを入れられたりすれば苦痛を伴います。では、誰のために心肺蘇生をしたり、人工呼吸器につないだりするのでしょうか。以前は、本人のためではなく、医療者の自己満足やご家族の納得のためにやっていた側面が確かにありました。

人はみな、必ず死にます。死を「医療の敗北」と考えると、医療は必ず負けるのです。死を避けようとするだけではなく、死を迎えるお手伝いをすることも医療の大切な役割のはずです。いざというときに心肺蘇生を行わない方針であれば、入院や施設入所をせず、ご自宅でお看取りをするという選択肢もあります。

訪問看護・診療を受けて自宅で看取る

自宅にいても、訪問看護や訪問診療によって抗菌薬や酸素の投与、鎮痛・鎮静といった医療は受けられます。義父を含めて私の親族の幾人かは、信頼できる在宅医と巡り会えたということもあって、在宅で看取りました。特に新型コロナウイルス感染症の流行によって病院や施設での面会が制限されている現在では、住み慣れた自宅で家族に最期を見届けてもらえるのは大きな利点です。

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一方、入院と違って在宅のお看取りでは可能な医療行為は限られます。病態が急に悪化しても医師がかけつけるまでには時間がかかりますし、夜中に息を引き取った場合、医師が訪問して死亡を確認するのはたいてい翌日の朝になります。

在宅でお看取りする方針であったはずなのに、心肺停止時にご家族が救急車を呼んでしまった事例もときどき聞きます。この場合、心肺蘇生を行わない方針だとしても、その事実が確認できるまで救急隊員は心肺蘇生を行うことになります。