脊髄反射だけでは生きのびることはできない
――大学の学長というお立場からすると、小中高でやってしまっている「繭の中への閉じ込め作業」、その影響をお感じになりますか。
石井 抽象的ですけれど、ありますね。たとえば入社試験でやるSPI、うちの学生で、その点数が低い学生がいます。その学生たちに対して、集中的にSPIの技法を教え込もうという流れがあります。そういうのやれというのもどうかなあと思うのですが、「やらないと、就職の一次試験で落ちてしまうんですよ」という声がある。そんな脊髄で反応するようなことだけをずっと小中高でやらせてきているのだから、子どもたちもそんな反応しかしなくなるでしょうよ。
でも、繭の中にずっといると、急に繭がぶちんと破れたときに、対応の仕方がない。昔はどこかに裂け目が少しずつあったり、「この中にいると、少しヤバいんとちゃうか」と不安にもなったから、繭を疑うということがあったけれど、今はもう疑うこともないんだろうなあ。
――繭の裂け目から触角を伸ばしておかないと、環境が変化したときに……。
石井 死にますね。
――「このままだと死んじゃうんじゃないか」と触角を伸ばす行為の大事さ、どうやれば若い人たちに、そこに気づいてもらえるのでしょうか。
石井 デザイナーの原研哉さんは、素人にデザインのことを話す講演会で、コップとお皿を見せるらしいんです。「違いがわかりますか?」と。
1958年、岡山県生まれ。
デザイナー。日本デザインセンター代表。武蔵野美術大学教授。1983年、武蔵野美術大学大学院修了。長野五輪の開・閉会式プログラム、愛知万博公式ポスターをデザイン。2002年より無印良品のアドバイザリーボードメンバー。東京ADC賞グランプリ、毎日デザイン賞、亀倉雄策賞、原弘賞、世界インダストリアルデザイン・ビエンナーレ大賞などを受賞。
《たとえば、ここにコップがひとつあるとしよう。あなたはこのコップについて分かっているかもしれない。しかしひとたび「コップをデザインしてください」と言われたらどうだろう。デザインすべき対象としてコップがあなたに示されたとたん、どんなコップにしようかと、あなたはコップについて少し分からなくなる。さらにコップから皿まで、微妙に深さの異なるガラスの容れ物が何十もあなたの目の前に一列に並べられる。グラデーションをなすその容器の中で、どこからがコップでどこからが皿であるか、その境界線を示すように言われたらどうだろうか》(『デザインのデザイン』「まえがき」より)
『デザインのデザイン』
岩波書店/本体価格1900円
石井 そこで「あっ」と思わせるらしいんですよ。今までわかっていたと思っていたことが、実は自明のものではない、ということに気づくことが大事だと。なるほど、こういう気づかせ方があるのだなあと思いましたね。
――「あっ」と思うときに、新しい触角が伸びるわけですね。たとえば先生も「プレジデント」の誌面で、歴史学者の阿部謹也さんのことを書かれています。
《「何が解ったら解ったことになるのか」を心の中に定めておかないと、阿部氏がそうした経験を積まれたように、どこかで行き詰まったり、空回りしたまま仕事が続いたり、あげくに幻想の〈美学〉をつくりあげてしまうことになりかねない。相対化することで、現場の仕事にのめり込んでしまう自分をコントロールでき、自分を見失わずにすむ。今の仕事の限界を知り、それを受け入れることもできる》(「プレジデント」ビジネススクール流知的武装講座 [248]より)
[ 記事を読む ]
■阿部謹也
西洋史学者。
1935年、東京都生まれ。一橋大学経済学部卒。小樽商大教授、東京経済大教授を経て、79年、一橋大教授、92年同大学長。99年、共立女子大学長。専攻はドイツ中世史。
『「世間」とは何か』
講談社現代新書/本体価格740円
――ビジネス書売り場で売っているハウツーのマーケティングの本の中には、阿部謹也という名前は絶対に登場しません。しかし、先生が書かれたあの稿に出合った読者は、マーケティングの世界を超えた先に触角が伸びる。
石井 そこですね。異様なところに触角が伸びないとね。