“私たち”以外の生命の歴史を想像してみよう
基本的には、核酸の種類は4種、アミノ酸も20種で、すべての生物が同じ遺伝子暗号表と呼ばれるものを使って、遺伝子情報をタンパク質に読み替えて、生命活動を維持しています。つまり、生物の起源を探っていけば、ただ1種類の生物“ルカ”から、いまあるすべての生物が派生、進化して生まれてきていると考えられているのです。それでは、その最初の生物とはどんなものだったのか、どうやって誕生したのか、というのが生命の起源の問題というわけです。
しかし、同時にこんなふうに想像してみることもできます。いま、私たちが共通祖先と呼ぶようなすべての生物の祖先であるような生物がいるとして、一方で、もしかしたらそれとはまったく違う仕組みで生命的な活動をする生物が、かつては存在していたのかもしれない。しかし、生存競争に“私たち”が勝ったことで、他方は駆逐され、地上から消えてしまったのかもしれない。そういうことが、可能性としては十分ありうるわけです。
言い換えれば、生命の起源と呼べるものが、じつはもうこの地球上で何百回もあって、そのたびに異なる生命が生まれているのだけれど、最終的に“私たち”の生物だけがすべての環境変化に適応し、すべての他の生物を滅ぼして、生き残っているだけかもしれないのです。
地球外生命は存在するかもしれない
これにはさらに深い意味があって、要は生命の誕生というものが、さまざまな条件が偶然にも整って成立した、ものすごく確率の低い奇跡的なものなのか、それとも、地球の歴史の中で生命の誕生というイベントは100回も200回もあるようなありふれたものだけれども、最終的にもっとも強い1種類が残って、いまいるだけなのか。つまり、生命が発生するということが、ものすごく奇跡的なことなのか、あるいはそうではないのか。
もしも、奇跡的ではないとすると、それなら宇宙にもたくさんの生命が生まれているのではないか、少なくともその可能性が広がります。地球以外の惑星に生命はいるのか、この果てしない宇宙のどこかに、地球人とは異なる別の生命体は果たしているのか、ということは、昔からSFに限らず科学の領域でも何度も議論されてきたわけですが、その可能性が広がることになります。火星にだって当然いたかもしれない、と考えてみることもできるのです。
しかし、生命の誕生が地球の歴史上たった1回の奇跡的なものだとしたら、それはかなり難しい話ということになります。
つまり、これは私たちの生命観、宇宙における生命の存在確率のようなものを予言する話でもあるのです。