「子どもの貧困」から抜け落ちている議論

違和感の根源は、貧困やその対策の議論において、貧困の定義ともいえる「金銭的資源の欠如」に関する議論が欠けていることから来ています。議論の対象を「子どもの貧困」に限ったとしても、「子どものいる世帯において、最低限必要なお金が足りない」という根幹についての議論がすぽんと抜けているのです。

子ども食堂の増加は、貧困によって食生活が脅かされている子どもの存在の認知が広まったことの現れですが、日本の子どもの保護者のほとんどが働いているなかで、なぜ、労働者が働いているのに、家族を十分に食べさすことさえできないのか、という疑問と怒りが日本の社会からあがってきていないのです。

比喩的に言うと、子ども食堂は、出血している傷口にバンドエイドを貼るようなものです。しかし、なぜ、ワーキング・プアの人々は、毎日、毎日、新しい傷を負うのでしょうか。彼らが傷を負わずに生きていけるようにする、根本的な社会の治療が必要なのではないでしょうか。

日本の貧困政策は70年前からある生活保護だけ

働いていても貧困から脱却できないという状況は、2000年代に「ワーキング・プア」問題として、一時期、脚光を浴びました。2006年には、NHKスペシャルがこの問題を取り上げ、その後、タイトルに「ワーキング・プア」を掲げた多くの学術書(注)も出版されました。

注:岩田正美『現代の貧困 ワーキングプア/ホームレス/生活保護』ちくま新書、大沢真知子『日本型ワーキングプアの本質 多様性を包み込み活かす社会へ』岩波書店

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しかし、2008年のリーマンショック後、政権交代が失敗し、貧困が「古い社会問題」となると、「ワーキング・プア」が改めて政策議論に取り上げられることが少なくなってきました。これは、「子どもの貧困」がにわかに脚光を浴び、子どもの貧困対策法(子どもの貧困対策の推進に関する法律)が2013年に制定されてからも変わっていません。

2006年からすでに15年の月日がたった現在においても、ワーキング・プアに日本は真摯しんしに向き合ってきていません。低所得者の生活水準を保障する政策は、基本的に70年前からほとんど変わっていない生活保護制度だけであり、同制度は実質的に働けない人々に対する制度となっています。

2015年から始まった生活困窮者自立支援法における支援についても、就職活動に対する支援や、職を失った人に対する支援メニューはありますが、働きながら十分な所得が得られないというワーキング・プアの生活保障の機能は果たしていません。しかしながら、後述するように、他の国々においては、2000年代以降、ワーキング・プアに対するさまざまな対策が取られてきました。70年前の制度から抜け出せていない日本は、さながら、貧困対策の「ガラパゴス」です。