新人の頃は飛び込み訪問が怖かった

美容は好きだったので、農林省時代から手に職をつけたくて美容学校へ通っていた。着付けや日本髪を結う結髪師の免許を取得し、美顔術も習った。シングルマザーになったことで、一人で子育てしながら働くためには自分で美容教室を開こうと思い立つ。そんなとき、たまたま友達に誘われて参加したのがポーラの講習会だった。

着付けや結髪師の資格を取得したころの桧山さん。(写真提供=本人)

かつてポーラの販売員は「ポーラレディ」と呼ばれていた。化粧品を業務委託して販売する個人事業主になるという働き方で、家庭を持つ女性たちに人気があった。子育てとの両立にも手厚く、夕方5時まで預かってくれる託児所が完備されていた。

桧山さんは美容の仕事にも引かれて登録し、船橋市にあるポーラ高砂というショップで働くことになった。当時、このショップでは毎日勉強会が開かれ、訪問販売での挨拶やアプローチの仕方など、10カ条ほどある接客術を指導される。ポーラレディは専用バスで目的地の街を訪れ、各自がそれぞれ一軒ずつ個人宅を訪問するのだ。

新人の頃は飛び込みで知らないお宅を訪ねるのが怖かった。門の前に立っても「どうやって入ろうかしら」とためらい、チャイムを押しても「誰も出てこなかったらいいのに……」と弱気になることもあった。

一生懸命やっても販売につながらず、涙することも

「私は美容の技術を身に付けていたので、お客さまにまず奉仕することを心がけました。お肌のお手入れをして差し上げて。お手入れの代金はいただくことなく、それは奉仕の気持ちですね。お客さまと親しくなると『またやってね』と頼まれ、通っているうちに商品の販売にもつながっていくんです」

撮影=市来朋久

桧山さんが心がける「奉仕」とは、ポーラ創業者の理念である。創業者の鈴木忍氏は化学者でもあり、妻の手荒れのために独学で作ったハンドクリームがポーラの原点になった。鈴木氏は「最上のものを一人ひとりにあったお手入れとともに直接お手渡ししたい」と考え、「美容を販売し、商品を奉仕せよ」と提唱。お客さまにはまず美容のお手入れをすることで奉仕せよと勧めた。ポーラレディになった桧山さんもその教えを忠実に実践してきたのである。

上司の指導は厳しく、お客さまにどう向き合うべきか、奉仕の精神についても徹底的に考えさせられた。一生懸命やっていても販売につながらず、怒られることも多かった。悔しくて涙が出ることもあったが、指導された通りにやって商品が売れると、その大切さが身に染みていく。毎日繰り返していくうちに、お客さまもどんどん増えていった。