「絶対に両立する。インターハイにも出場し、医学部にも合格するぞ」

その努力が少しずつ形になり、高校2年生の秋には関東大会で入賞。インターハイが射程距離に入ってきた。しかし受験勉強もある。学校での成績はオール5だったとはいえ、医学部受験に向けた勉強は必ずしも万全ではなかった。

「どちらかを諦める? いや、絶対に両立するんだ。インターハイにも出場し、医学部にも合格するぞという覚悟をしました」

その気持ちを最後まで維持できたことで、3年生でインターハイ出場を果たし、現役で東大理科三類合格を勝ち取った。

大学生になってからの陸上競技は、中高時代とは違う意味で、内山さんを刺激した。コーチ指導のもと、練習を続けてきた今までとは違い、練習のメニューや量は自分で決める。しっかりと自分の体と向き合っていけば、記録として自分に返ってくる。それが楽しい。

内山さんが表紙を飾った『プレジデントFamilyムック 医学部進学大百科 2022完全保存版』

「でも、正直つらい時もありました。勉強と部活と塾講師のバイトもやっていましたから。陸上の遠征費や合宿費ぐらいは自分で稼ごうと意地になっていた部分もあって、無理していたんですね。2年生の秋にはそれがたたって疲労骨折。その頃は勉強のほうもうまくいかず、大学生活をどう過ごせばいいかわからなくなってしまって」

挫折の中で自分の道をもう一度冷静に考え、彼女が出した結論はシンプルなものだった。インカレには出たい。医者にもなりたい。ならば陸上と勉強に集中しよう。時間が足りなければ、そのとき大事なことを見極めて、一つずつ丁寧に努力を積み重ねていくしかない。

バイトはシフトの融通が利く飲食店のホールのみにし、勉強だけする日、陸上だけする日に分け、どちらかに集中するようにした。変化する筋肉量をチェックし、自分の体と体調を常に分析した。なかなか記録が伸びない走り幅跳びをやめ、4年生からは三段跳びに転向し、技術を磨いた。