集団バイアスの脅威
自分が属する集団の和が保たれるのは、一見いいことのように感じます。しかし、「異質なものを排除したい」という欲求はなくならないため、ほかの集団に対して攻撃の矛先を向けるようになります。
それこそパンデミックを引き金に、世界中で世代間や民族間の衝突が起こりました。「あいつらがウイルスを撒き散らしている!」と、老年層が若年層を責めたり、アジア人が襲撃を受けたりしています。
同じ集団内にも様々な価値観・行動様式を持つ人がいるわけですから、本来なら、そのほかの集団も認めるというのがあるべき姿です。
しかし、そうはいかないのが人間です。自分と異なる集団をひとくくりにしてしまうことを、「外集団同質性バイアス」と呼びます(逆に自分が属する集団を好意的にとらえることを「内集団バイアス」と呼びます)。
これらの集団バイアスのメリットは集団内の結束を固めることですが、異質な集団を攻撃したり、集団内の異質な人を排除したりするというデメリットもあります。
まさしくいまのように人々の不安が大きくなる時代には、心を安定させるため、集団バイアスがより強く生じる傾向があります。
もし、ほかの集団に対していいようのない怒りを感じたときは、この「集団バイアス」を疑いましょう。そうすることで、冷静に現状を把握することができます。
パンデミックの状況下ならば、敵はほかの集団ではなくウイルスだとわかるでしょうし、異なる集団同士が協力し合うことが必要だと気づけるはずです。
「正義の戦い」という欺瞞
集団や国のために、自己犠牲的に行動するのは美しいことなのかもしれませんが、個人の運命は集団の運命とは違うとわたしは強調したいと思います。
とくに、自分と属する集団が同化したときは危険です。集団からはみ出した人を容易に攻撃対象にし、そんな自分たちのことを「正義」とみなすからこそ、「正義の戦い」などという言葉が使われるのです。
また、集団とアイデンティティーが同化すると、その集団を失うことが自分にとって最大の恐怖になります。そうして得体の知れない「みんな」や「世間」に振り回されてしまい、あげく命すら簡単に捨てかねません。
そんな見えない絆みたいなものが、個人よりも大切だとする考え方や状態に、もっと注意深くなることが必要だと思います。