これに対し、五輪報道を仕切る社会部の部長が「現場を預かるデスクが違和感を持っているのに社説を出す覚悟があるのか」と迫り、デスク会は重苦しい空気のまま一旦終了した。
午後8時45分からの二回目のデスク会では、坂尻GEが根本論説主幹と再協議したことを説明したうえ、「結論としては、社説は予定通り組む。非常に残念だが、仕方がない。編集局はこれまで通り報道してほしい」と伝えた。
社説掲載前夜の様子を明らかにしたのは、五輪中止を求める社説は現場の記者たちから湧き起こった論調ではなく、むしろ実態は真逆で、編集局の大多数は五輪中止の主張に強く反対している事実を伝えたかったからである。
いったん「五輪を持ち上げる報道」のレールに乗った彼らにとって、どんなに五輪反対の世論が高まっても、方針転換は受け入れ難いのであろう。彼らの関心はどこまでも社内の「派閥闘争」や「地位保全」に向けられている。その姿は「東京五輪開催ありき」で突き進む菅義偉政権と瓜二つである。
社内の「言論の自由」を取り戻してほしい
私はこのデスク会に出席した部長やデスクたちの大半と面識がある。かつて共に新聞作りに励んだ仲間たちだ。デスク会で彼らが発した言葉の数々を見ながら、私はそれらひとつひとつを信じたくなかった。
唯一の希望は、「社内情報の漏洩」の犯人探しが行われることに怯えながらもデスク会の内容をさまざまな形で私に知らせてくれた同僚たちがいたことである。
五輪中止を求める世論の声よりも五輪スポンサーの立場を重視する部長やデスクの姿に呆れ嘆き、その惨状を公にすることで新聞社の健全性を取り戻したいという正常な感覚が、朝日新聞社内にわずかならが残っていることの証しである。
願わくば、彼らには公然と社長を突き上げた7年前を思い起こし、いま一度記者としての矜持を取り戻し、「会社員」ではなく「ひとりの記者」として声をあげてほしい。国家権力からの圧力を跳ね返す以前の問題として、まずは新聞社内の「言論の自由」を回復することが、新聞の信頼回復への第一歩であろう。そこに朝日新聞再建の望みを託して、この記事を執筆した次第である。