誤った自己を押し付けされ、行動が変容する

ソーシャルメディアの問題は、人を変えてしまうことです。ソーシャルメディアで人の行動が変わるということは、ソーシャルメディアがわれわれに自己を与えているということです。

しかしフェイスブックに私が何者であるかを決める権限などありません。とんでもないことです。そんなことに時間を費やすよりも、ソフォクレスやシェークスピアの作品を読んだり、友人と話をする方がよっぽどいい。

私がいっているのは、「元の自己」があって、ソーシャルメディア上に「歪んだ自己」があるということではありません。その反対で、ソーシャルメディアは人に、「本人が望まない自己」を押し付けているということです。しかもそのプロセスが不透明なのです。ソーシャルメディアは人に新たなアイデンティティを売り付けて大儲けしているのです。

ちなみに、「元の自己など存在しない」ということは、すでにソクラテスが言及しています。

彼は「自分は何も知らないことを知っている」と言ったことで有名で、そのために賢人中の賢人といわれています。しかし、後者のギリシャ語の意味は、「自分は何も知らない自分を認識している」ということなのです。これは「自分は何も知らないことを知っている」とはまったく違います。ソクラテスは自己認識のことを言っていたのです。自分に確固たる本質があるという観念から脱却しなければならないという考え方は、仏教その他の宗教にも見られます。

ソーシャルメディアは自分がもともと持っていなかったアイデンティティを押し付けてくるのです。あなたはアフリカ系アメリカ人だとか白人だとか、左翼だとか右翼だとか、若いとか歳をとっているとか、環境派だとかそうでないだとかを勝手に決め付けます。自分になかったアイデンティティを創り出すのですが、それは幻想に過ぎません。

こうしてアイデンティティを押し付けられると、人は誤った自己概念に基づいて行動するようになります。私は、「確固たる自己がある」という考えを捨てることが自己を見つけることだという仏教の考えに賛同します。私という人間は極めて複雑なプロセスの塊なのです。

デジタル・デトックスしよう

若い日本人の女子プロレスラーが、SNSでの誹謗中傷が原因で自殺したと聞きました。どんな対策を講じても、このようなサイバーいじめはなくなりません。SNSが生み出すストレスは、日本でも相変わらず大きな問題のようですね。

私たちは本当にデジタル・デトックス(解毒)を始める必要があると思います。そのプロセスを魅力的な観光旅行のようにすれば良いのです。富士山の近くなどで3週間過ごし、その間美味しい食事をして、ネットには一切接続しない。それが第一のステップです。

写真=iStock.com/recep-bg
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パンデミックの最中、私はすべてのソーシャルメディアのアカウントを削除しました。フェイスブックやツイッターのアカウントを持っていたのですが、パンデミックが発生すると、ただちにこれらをすべてキャンセルしたのです。

驚いたことに、何の不自由もありませんでした。例えばフェイスブックでアメリカ人の友人とコミュニケーションが取れないのは困るだろうと思ったのですが、そんなこともなかった。麻薬はやめたら離脱症状が現れますが、ソーシャルメディアはやめてもちっとも困りませんでした。

ですからソーシャルメディアの利用は最低限にとどめることをお勧めします。フェイスブックのサービスの一部は維持しても良いでしょう。友達の近況を知ったり、写真をシェアしたり、他の人と交流することには何ら問題ありません。LinkedIn などはビジネスにも利用価値があるでしょう。ソーシャルメディアには便利な面もたくさんあるのです。