学園紛争で外交官の夢をふさがれた

幅広い知見を持つ尾身氏の背景には、悩める青春時代があったそうだ。

「高校時代に1年間のアメリカ留学に行きました。当時はケネディ大統領のころで、アメリカの生活水準には驚くばかりでした。帰国して外交官に憧れ、東大法学部を目指したものの、学園紛争で東大の入試が中止になり、進学した慶應大も入学早々ストライキに入りました。社会全体が、“外交官か商社マンになりたい”などと言おうものなら、“人民の敵”と言われそうな雰囲気でした。目の前の道がふさがれたようで、心がポキポキッと折れてしまい、自分が何をしたいのかわからなくなりました」

猛勉強の末、学費無料の自治医科大学へ

大学の授業がなくなり、時間を持て余していた尾身青年は、渋谷の本屋に立ち寄って、哲学、宗教、人生論、さまざまな本を乱読していたという。

『プレジデントFamily医学部進学大百科2021完全保存版』

「当時、幅広いジャンルの本を読めたことが、自分の中で大きな糧になっていると思います」

そんな中、偶然目に入ったのが、『わが歩みし精神医学の道』という本だった。内村鑑三の息子である内村祐之ゆうしが、精神科医として歩んだ人生論をつづった一冊だ。

「それが医学の道との初めての出合いでした。こんなにも人間味があふれ、人に喜んでもらえる仕事があるのかと。悩める心にビビッときたんです」

父親の反対を押し切って慶應大を退学して猛勉強。これ以上親には迷惑をかけたくないと、学費が無料の自治医科大に1期生で入学した。その後、医師としての進路に悩んでいた時に、ユニセフで働く高校のアメリカ留学時代の友人に「WHOで働いたら?」と言われたのがきっかけで、現在の道に進むことになったという。

紆余曲折はあったが、尾身氏の業績は、外交官と医師を掛け合わせたようなもの。今振り返れば、天職に行き着いたといえそうだ。

「『得手に帆を揚げる』ということわざの通り、自分の好きなこと、得意なことなら辛くても耐えられる。ただし、人生の入り口に立つ君たちに、“得手”とはそう簡単には正体を現してくれません。いま進むべき道に迷っている人がいたら、思う存分迷ってほしい。その間に自分自身に正直に向き合っていれば、いずれ“得手”を見つけられるはずです」

撮影=森本真哉
尾身氏が医師を志すきっかけになった本。渋谷の書店で購入し、今でも執務室の書棚に大事に置いている。
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