“神風”となった民主党政権の失態

ただし、ここまでの歴史を追えばわかるように、「ネトウヨ」は必ずしもサイバー空間だけに生息しているのではない。

チャンネル桜自体が初めからインターネット放送を行っていたのではなく、社会状況を見て手を伸ばしただけである。また、チャンネル桜の主活動の一つがデモや街宣、その他のリアルでの活動である。

ここで注目すべきは、「ネトウヨ」と呼ばれた人たちは、自分たちを社会の多数派とは思ってはいない。むしろ昭和以来の少数派の意識を引きずり、多数派であるマスコミへの憎悪を駆り立てた。「ネトウヨ」はマスコミに対し、「マスゴミ」とレッテルを貼り返す。

ソ連が健在だった時代、テレビ・新聞・雑誌・書籍の各メディアで「保守」は反撃の手段が無きに等しかったが、インターネットの普及とともに武器を得た。

そこに“神風”が吹いた。

民主党政権の失態である。圧倒的多数の国民の期待を背負って成立した鳩山由紀夫内閣には、政権担当能力が欠如していた。そもそも民主党は、「政権交代」だけを旗印に結集した野合政党である。

特にその後のビジョンも無く、官僚機構の協力も得られないまま迷走した。景気対策でも明確な成果を出せなかった。そして「外国人地方参政権」を言い出す。

ここに民主党に投票した普通の人が、「保守」「ネトウヨ」に大量流入した。民主党が主張した外国人地方参政権の主な対象は、在日韓国人である。

ソ連崩壊後も、「保守」はアメリカや中国に複雑な思い(コンプレックス)を抱き続けてきたが、解消する方法を自分では見つけられなかった。だが、民主党批判はバブルの如く膨れ上がる。そこに韓国批判が加わった。

くすぶり続けた韓国への怨念

底流は、あった。

戦後日本の言論空間で、韓国は軍国主義の象徴の如く扱われていた。朴正煕(1961~79年)と全斗煥(1980~88年)の軍事政権が長く続いたからだった。北朝鮮が「地上の楽園」と賞賛されたのと対である。

それが冷戦終結で「民主化」が進むにつれ、対決姿勢は薄れ韓国自体が容北と化していく。韓国の容北と歩を一にするように、韓流ブームが発生する。そして、2002年に金正日が拉致を認めてからは、さすがに北朝鮮賛美の言論は影を潜めた。

2004(平成16)年にNHKが韓流ドラマ『冬のソナタ』を放映、ブームを起こす。冬ソナに代表される韓流ブームは、韓国のコンテンツ・ダンピングによって起こった。日本のテレビ局は自前で作るより安上がりな韓国ドラマを安く買って放送していた頃だ。この頃になると朝日新聞の韓国批判など、完全に過去の遺物と忘れられていた。